鎌倉世界遺産登録推進協議会
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武家の古都・鎌倉ニュース第14号

 

世界遺産登録の早期実現に向けて
文化庁へ「ユネスコへの推薦」を要請

平成2 1年10月5日(月)、「武家の古都・鎌倉」の 世界遺産登録に向けて、神奈川県、横浜市、鎌倉市、 逗子市の4県市の首長連名によるユネスコへの推薦要 請書が、文化庁長官へ提出されました。
 これまで4 県市では登録に向けた準備が進められて きました。平成18 年には、市民と行政との協働で世 界遺産登録をめざす推進協議会が設立され、市民サイ ドからの登録に向けた取り組みも活発化しています。  推薦要請を受けた玉井文化庁長官は、「今回の要請 はしっかりと受け止 めさせていただきま した。登録の審査は 年々厳しい状況にあ りますが、知恵を出 し合って一緒に取り 組みを進めていきま しょう」と積極的な 取り組みへの意欲を示されました。

推薦要請書     「武家の古都・鎌倉」の世界遺産登録の早期実現に向けた取組みの推進について

鎌倉は、12 世紀後半に武家がはじめて国政を担い、その独特な地形を活かしながら、独自の「文化」や「風土」を築き上げた地です。 この鎌倉で生みだされた「武家文化」は、日本文化の一つの基層を成し、現在の日本人にも脈々と受け継がれています。  この鎌倉の伝統や文化・歴史的風土は、数々の戦乱や開発圧力にも屈することなく、現在まで良好な状態で守られており、 このことは、歴史的な建造物や遺跡で構成される「武家の古都・鎌倉」の資産が、明確に示しています。
 鎌倉の世界遺産登録に向けては、平成4年に「古都鎌倉の寺院・神社ほか」として、ユネスコ世界遺産暫定一覧表に記載されて以来、 国と、神奈川県、横浜市、鎌倉市、逗子市が連携し、文化遺産の整備や史跡指定など、登録に向けた準備を着実に進めてまいりました。  また、昨今の審査の厳格化に対応するため、文化庁と4県市との共催により、世界遺産登録に向けた国際的な評価の形成を目 的とした国際会議を2度開催し、国内外の専門家の方々から、「鎌倉には、世界遺産に登録される可能性が十分にある」との評価 を得たところです。
 一方で、世界遺産登録を、より確実なものとするには「武家文化をより分かりやすく説明するとともに、その形成に重要な役 割を果たしてきた山稜部を積極的に評価する必要がある」といった、課題が指摘されたところです。  そこで、国におかれては、「武家の古都・鎌倉」の世界遺産登録の早期、かつ確実な実現に向けてさらに4県市との連携を深めつつ、 国際会議等で提起された課題の解決を含めて、新たに設置する「推薦書」作成のための委員会に参画し、ユネスコ世界遺産委員会 に提出する「推薦書」を仕上げていくための作業を、国と4県市が協働して進めるなどの取組を推進していただくよう要請します。
  文化庁長官 玉井 日出夫 様 
   平成21年10月5日
     神奈川県知事 松沢 成文 (公印)    横浜市長  林 文子 (公印)
     鎌倉市長   石渡 徳− (公印)    逗子市長  平井 竜一(公印)

訃報:推進協議会特別顧問・平山郁夫画伯が逝去されました

平山先生は、世界文化遺産の保護のための国際的な活動に尽力されるとともに、鎌倉の世界遺産登録のために、 平成2 0 年5 月より推進協議会特別顧問にご就任くださり、大きな力を注いでくださっているところでした。 突然の訃報に、推進協議会としても痛恨の極みです。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 

第3 回 ワークショップ 開催報告
「どう守る 私たちの世界遺産」

ワークショップ(以下「W S」)は、市役 所講堂で、平成21 年11 月8 日に、推進協 議会と「鎌倉の世界遺産登録をめざす市民 の会」の共催で開かれました。「鎌倉の価値 や魅力を語り合い、それを守っていく方法 を一緒に考えよう」「世界遺産候補地を次世 代にどう守り伝えられるか、各候補資産の 性格別や地域別のグループに分かれ、話し 合い、皆がどのような認識をもち、有効な 手立て等が見つかるかを探ろう」という趣 旨でした。
 はじめに総括進行役から時間配分などの説明の後、 「鎌倉のような重層的な歴史都市を見る際に、時代別 のレイヤー(layer:置き敷かれた層・分布)を想い浮かべ、 それらを重ね合せて街を理解する方法が有効」という 考えが披露されました。
 次にコメンテーターの東大准教授の赤川学さん、産経 新聞の宮田一雄さん、地域プランナーの伊達美徳さんら が、討議に向けて役立ちそうなヒントなどを話しました。 テーブル討議の前半では遺産の特質や問題を洗い出し、 後半は遺産を守るための意見や提案を出してもらう、 というのが主催者側の狙いでしたが、初めての参加者 も多く、話は度々鎌倉の世界遺産登録の意味や可能性 に移りました。
 「禅宗大寺院とその周辺」「社寺とその参道」「遺跡 と周辺環境」の3テーブルと、「二階堂辺」「長谷・極 楽寺の辺」「扇ガ谷辺」の3テーブル、計6 つのテーブ ルで話し合いが行われました。
 個々の遺産より地域のことや鎌倉全般にわたる議論 の多かったテーブル、WSの趣旨に応えようと話が進 んだテーブル、遺産の性格を武家文化発祥に結び付け、 また今の時代の対応を見極めようとしたテーブル、知 ること・学ぶことにこだわって話が進んだテーブル、 遺跡という人それぞれで受取り方が違う対象に、その 考え方を見出そうとしたテーブル、典型的な対象に的 をしぼり答を探ったテーブル、それぞれが面白いほど の個性・独自性を示し、それらの全てが合わさり見事 に鎌倉の世界遺産登録の今の状況をクローズアップし てくれました。
 コメンテーターの宮田さんは、世界遺産登録に対す る攻めの精神の必要、鎌倉のまちとしての面的な魅力 などを語り、赤川さんは人々の交流やもてなしの心が 大事と話されました。伊達さんはWS の議論に、登録 するための世界遺産手続き論と、歴史都市鎌倉のまち づくりをまず考える世界遺産手段論とがあることを指 摘、「登録はユネスコの望むようにしなければならな いが、世界遺産を手段に良い町を作ろうとするのもう まい智恵」と話しました。
○各テーブルの進行役報告から(抜粋)
 「もっと知りたい鎌倉、私たちの足元に積み重なっ ているレイヤーに気づき、歩いて感じてもらおう」(田 川陽子)、「遺産を守り継いでいく地域の〈守り人〉が必要。 遺産と周辺、何を誰が、どの範囲でどう守っていきた いか、話せる場が必要」(山村みや子)、「もてなしのある よい街づくりを、市民の理解のもとに、行政が主導し 実施する」(草場圭三)、「住みたいと思うだけでなく地 域の人とつながりができて、地域を知り地域を愛する ことにつながっていく。その上でお客様を迎える意識 が芽生えてくる」(横川啓)、「点としての遺跡を、鎌倉 物語として線につなぎ、面にして町にして首都圏の中 の鎌倉の価値を考えてみたい」(高木規矩郎)、「鎌倉の 市街地の遺産は皆、同様の問題点があるように思われ る」(大竹正芳)など、充実した話し合いの場が実現し たことを、うかがわせる言葉が並びました。
 WS 報告書は事務局で配布しています。

 

武家の古都・鎌倉 連続シンポジウム(19)/北鎌倉まちなみツアー
「北鎌倉の文化資産と周辺のまちづくり」

平成21年12月5日(土)、「鎌倉の世界遺産登録をめ ざす市民の会」と推進協議会の共催で、武家の古都・ 鎌倉 連続シンポジウム第19 回を開催しました。今回 は、北鎌倉に焦点を当て、まちづくりに熱心な地域の 力と世界遺産登録について考えようというものです。 雨模様のなか、午前中はまちなみツアーを行い、午後 からは東慶寺書院でシンポジウムが開かれました。
◎北鎌倉まちなみツアー
 まちなみツアーも東慶寺門前が出発地となり、鎌倉 街道を建長寺方面に向かい、浄智寺門前から踏切を越 えて長寿寺・亀ヶ谷坂入口まで行き、引き返して明月 院門前に行き、その後住宅地の路地を通り抜けて、円 覚寺の門前に到りました。そこから洞門山下を経て権 兵衛踏切を渡って、旧田中絹代邸、光照寺を見て東慶 寺に戻りました。皆さん、北鎌倉の寺院が街に並び現 れる風景を味わい深く楽しむことができたようでした。
◎シンポジウム「北鎌倉の文化資産と周辺のまちづくり」
 午後のシンポジウムは冒頭に松尾市長が挨拶、市長 は井上正道住職のお話まで聴いていかれました。
 住職のお話は、「昔と今では様変わりしているが、 禅寺では閑・静・所が大事。自分が子供のころ道は遊 び場になるぐらい人通りが無かった」「東慶寺は円覚 寺創建3年後に出来た尼寺で、後醍醐天皇の皇女の用 堂尼を迎えてから松岡御所と称された」「まずお寺が 良い場所を先取りして、その周りに商人や職人の住む 町が出来てきた。明治の初めに寺領が取り上げられ、 寺の維持に苦労するようになった。円覚寺で夏目漱石 が参禅した釈宗演師が住職をしたが、明治40 年には 寺の維持のため仏殿を原三渓に買ってもらわなければ ならなかった。そうした先人の努力で維持されてきた 寺の『境致』を、我々も守っていく義務がある」とい う趣旨でした。
 次の講演者は東北芸術工科大学の志村直愛さんで、 「北鎌倉は自然・寺院・住宅が融合、歴史・風格が感 じられ鎌倉より鎌倉らしい町と言われる」「北鎌倉の 空間構造は鎌倉街道と鉄道を中心とした軸性が特徴」 と説き、また、「鎌倉には伝統的建造物群の町並がない」 「しかし北鎌倉には五山のうち3 寺院、七口の3切通が あり、舎利殿から北鎌倉駅舎まで各時代の歴史的建築 が残る。変わらない地形、山並の緑、禅宗寺院の伽藍、 寺に隣り合う閑静な住宅地、落ち着いた商店街が、好 感度高いまちなみ景観をつくり、観光客にも人気で住 宅地としての評価も高い。市民意識が高くまちづくり 計画も提案して、まちのあり方に関し今後に期待が持 てる」と結ばれました。
 休憩後のパネルディスカッションはコーディネー ターが志村さん、パネリストが坂田庄次さん、守屋弓 男さんの2 建築家、「鉢の木」主人の藤川譲治さん、 市の比留間彰景観課長という顔ぶれで行われました。
 北鎌倉で育った3 氏の場所への想いなどから話に入 り、皆さんよく寺の境内で遊び学んだこと、建築家ら が北鎌倉まちづくり協議会をつくった経緯、店主がま だ若くて店を設ける際に意匠にこだわったことなどが 語られました。比留間さんからは「北鎌倉の特長を作っ ているのは古都保存法と、地元の人の気配りやもてな しの心だ」という発言が続きました。また北鎌倉は町 名ではないため遠方のマンション名にまで出てくる話 もありました。「建築家が住民の望みにばかり従うと 景観を壊すことがある、案外地の人は構わなくて新参 市民や外の人が良さを知っている」等々も語られまし た。締めの部分では、「三代続いて斬新なことをして 初めて老舗と言われる」という発言をきっかけに、「古 いものを守るだけでなく新しく町並を創っていかなけ ればならない」「創建時寺院は斬新なものだった、伝 統を守るため革新的でなければいけない」「自然と一 緒にあるこの北鎌倉で、歴史に根ざし町を積極的に 創っていくのが大切。そのためにこんな話合いがこれ からも必要」という結論に至りました。聴衆からも新 鮮な話が聞けたという評価がありました。     

 

『武家の古都  鎌倉塾』  平成21 年度春季講座第3回講演要旨
東勝寺跡の発掘調査

講師:NPO法人鎌倉考古学研究所 宮田 眞さん
とき:平成21年6 月13 日(土)  ところ: 鎌倉生涯学習センター第5 集会室

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昭和51 年に始まる東勝寺跡の発掘調査は、鎌倉の 本格的な調査としては最初期のものであった。それ 以降も調査が重ねられて、東勝寺の歴史的な実態解 明はかなり前進している。今日までの調査とその成 果は以下の通りである。
◎東勝寺の歴史的沿革
 北条氏の氏寺であり、城砦のひとつと見られる青 龍山東勝寺は、第3代執権北条泰時の開基、開山は 栄西の弟子退耕行勇(1163 〜 12 41)。鎌倉の禅寺の 十指に入るほどの僧衆を擁して、相当な規模の寺院 であったと考えられる。元弘三年(1 3 3 3)の新田義 貞の鎌倉攻めによって、高時以下北条氏一門が自害 して果てた寺としてよく知られている。その際に寺 も灰燼に帰したが、程なく室町幕府によって再興され、 南北朝期の至徳三年(1386)には、関東十刹三位に 列せられていた。その後16 世紀始めころは存続して いたようだが、16 世紀後半には廃寺となった。
◎寺域の場所と範囲
 東勝寺跡は小町三丁目にある「葛西ケ谷」全域に 及ぶとされる。入口にあたる東勝寺橋あたりを要に、 東に向かって扇状に展開する谷で、北東支谷、中央 支谷、南西支谷の三つの支谷から成っている。「高時 腹切りやぐら」は中央支谷を上り詰めた所にある。 現在は閑静な住宅地となっているが、かつては谷全 域に寺院の建物が建てられていたようである。
◎今日までの発掘調査
 第1次・第2次調査
  第1次は、昭和51年(1976)2 月10日〜 3 月
  第2 次は、同年12 月6日〜同月26日
       共に中央支谷南部
 第3次・第4次調査 
  平成8・9年(199 6・19 9 7)北東支谷・中央支谷
 その他の調査(個人住宅新築等に伴う緊急調査)
  平成11 年(1999)8月26日〜 10月13 日
       南西支谷入り口付近
  平成11 年(1999)10 月25 日〜 11月 北東支谷
  平成12 年(2000)7月27日〜8月19日
       南西支谷造成地内の個人住宅地

 昭和51 年の第1次・第2次調査は、鎌倉市の心身 障害児通園センター建設に伴う事前調査として、赤 星直忠氏を団長とする調査団によって、中央支谷南 部で実施された。建築遺構、鎌倉石による基壇状遺構、 幅2 m の切石敷きのスロープ遺構(通路)、石垣、石 敷きなど、寺院に関連するらしい多くの構築物が発 見された。出土した「三鱗文」の叩き目のある平瓦は、 谷戸と東勝寺を関連づける遺物であった。この成果 に対して遺構保存の要請が寄せられたため、文化庁、 県教委・市教委が協議した結果、国指定史跡の指定 を前提とし、国庫補助を得て同支谷内での第2次調 査を実施することが計画された。
 第2 次調査からは、1 棟以上の礎石建物、礎盤を 遺存するものをふくむ柱穴多数、溝10 条、第1次調 査で発見された切石敷きスロープの延長部分、石組 遺構2基などが発見された。第1次の調査結果を更 に肉付けする成果が上がり、東勝寺の実態を解明す る貴重な手がかりとなった。ただ、土地所有者の理 解が得られず、史跡指定の作業は中断された。
 土地所有者が変わるなどの状況の変化に伴い、史 跡指定作業の再開が決定されたのは平成になってか らである。平成8年度から国庫補助を受けて、第3 次・ 第4次調査として、中央支谷と北東支谷の調査地点 が計画されたが、北東支谷内の修道院の改築計画が 持ち上がり、その改築部分も含めての調査となった。 調査は合計11 箇所のトレンチを設定して、平成9 年 にかけて実施された。第5 トレンチからは、大規模 な掘立柱建物の跡が検出された。柱穴の一つからか わらけ皿2 枚が重なった状態で出土。地鎮のため に埋納されたものらしい。また柱穴の多くが堆積し た炭化物土層直下から発見されており、新田義貞の 鎌倉攻めの折に焼失した伽藍群の一つである可能性 が高い。これらの調査成果により、平成10 年(19 98)7月、 国指定史跡に指定された。
 その後緊急調査が、南西支谷、北東支谷における 宅地造成地や個人住宅において行われてきた。それ ぞれの場所から、鎌倉石切石を配した礎石建物や、 庫裏と思われる建物跡などが検出された。  以上の発掘調査から、葛西ケ谷全域で東勝寺に関 連すると考えられる遺構が認められたが、いまだ中 心伽藍を構成する堂宇の確認には至ってない。将来 の調査に期待したい。

 

めざせ!世界遺産登録

地域の歴史再発見と世界遺産運動    玉縄城址まちづくり会議

玉縄城は、1512 年に伊勢宗瑞(北条早雲)が、玉縄 の<みどりの龍脈>の中心に築いた城で、関東の三名 城と謳われました。地元の玉縄城址まちづくり会議で は、平成2 4 年秋の「玉縄城築城5 0 0 年祭」を進めて います。昨年11月2 2日には、かつて玉縄城があった清 泉女学院の講堂で、推進協議会も共催し、その実行委 員会の発会式を開催しました。
 また、鎌倉市との協働事業として、『玉縄歴史アカ デミア』『玉縄民俗資料館リニューアル』『玉縄学習セ ンター郷土資料コーナー企画展示』など玉縄の歴史再 発見の活動を行い、鶴岡八幡宮の改修など荒廃した鎌 倉のために、小田原北条氏をはじめ玉縄城主やその 家臣達が力を尽くしたことなども紹介しています。
 さらに、「世界遺産登録推進活動は、鎌倉の各々の 地域にある多彩な有形無形の文化財を守り伝える活動 と一体のものでなければならない」という観点から、 推進協議会に参加し、『あなたの足元の文化財を守り 伝えていくために』というテーマで鎌倉五地域の方々 との意見交換会を提案・実施中です。  まちづくり会議の荒井章さ んは、「世界遺産登録推進活 動を名実ともにオール鎌倉の 市民の活動にして行きましょ う」と熱心に語ってくれました。

 

古都鎌倉の文化的意義を世界へ    NPO 法人鎌倉シチズンネット(KCN)

 平成13年より、全国規模 でパソコン普 及のために国 が予算を立て パソコン講座 を各市町村で実施しました。鎌倉市では、補助講師の ための市民ボランティアを募集し、応募したメンバー を中心に同年6 月にNPO法人鎌倉シチズンネット(K CN)が設立されました。  活動の主体は、市のパソコン講座や市民発信情報の ホームページ作成運営受託など鎌倉市への支援活動や、 自主講座運営などですが、プログラム構築を伴う市と の協働事業(例:不用品交換システム)のほか、会員 への技術支援なども実施しています。  会員は、パソコン講座講師・補助講師のほかに、サー バー管理やシステムプログラム開発、ビデオ製作、パ ソコンメンテナンスなど高度の技能を持った人たちも いるそうです。  理事長の鍋島さんは、「この度は推進協議会のホー ムページの改良にあたって、広く鎌倉の歴史と文化お よび遺産登録の意義を知ってもらおうという趣旨のも と、KCNの知識やスタッフを最大限活用してご協力 できればと考えています」と抱負を語ってくれました。

 

「古都鎌倉の世界遺産登録』ってなに?
第13 回 和賀江嶋はどんなところ?

 和賀江嶋は、鎌倉市材木座海岸から 逗子市小坪海岸にかけて所在する、当 時から現存する最古の築港遺跡です。
 鎌倉の政治的な重要性が増すにつれ、 鎌倉を中心とした海上交通が発展して いきました。しかし、大風や波浪によ る破損や転覆が多く、更には海岸が遠 浅で荷の揚げおろしには不便でした。 そのため、勧進僧の往阿弥陀仏が船着 場の必要性を幕府に訴えたところ、執 権北条泰時がこれに応え、貞永元年(一 二三二)、和賀江嶋は築造されました。
 『東関紀行』によれば、仁治三年(一 二四二)頃、和賀江嶋は三浦の三崎と 並んで著名な港湾であったとあります。 また、建長五年(一二五三)鎌倉幕府 は和賀江で商売を行うことを許可し、 和賀江嶋付近は鎌倉で最も賑やかな商 業区域の一つとなりました。
 貞和五年(一三四九)、足利尊氏は 極楽寺が和賀江を支配することを認め、 和賀江には関が設けられ、極楽寺は関 米を徴収して、和賀江嶋の修築・維持 管理を行っていました。
 江戸時代に入ってからも、鶴岡八幡 宮の修理の際に島も修築され、近世ま で利用され続けました。現在でも和賀 江嶋の形状は概ねよく残されています。
 このように、和賀江嶋は鎌倉の海上 交通と物流の拠点となり、中世都市鎌 倉の発展に大きな役割を果たした、重 要な遺跡であるといえます。 

 

News! the 世界遺産

鎌倉ケーブルテレビ特集番組

JCN 鎌倉(鎌倉ケーブルテレビ)では、鎌倉の世界 遺産登録の近況をお知らせすることを目的に、市政情 報番組「鎌倉市からのお知らせ」の中で、「武家の古都・ 鎌倉 〜世界遺産登録に向けて〜」と題した特集コーナー を、9月19日から11月13日までの間に計8 回にわたり 放送しました。
 各回の概要は次のとおりです。
○第1 回「候補資産の保全に向けて」
 世界遺産登録への準備を進める中で、候補資産の史 跡指定や保存管理計画の策定などが行われました。鎌 倉の歴史的遺産を保存し、次世代へとつなげていくた めの環境整備が進展しました。
○第2 回「国際会議の開催」
 鎌倉の世界遺産登録に向けて、2回の国際会議で貴 重な議論が重ねられました。この成果を活かし、国と 共にユネスコへ提出する推薦書の作成に取組みます(詳 細は本会報第11号と第13 号を参照)。
○第3 回「鎌倉の世界遺産登録とは」
 鎌倉は、世界でも稀な武家文化の成立と発展、そし てそれを支えた最初の武家政権の様子を伝える唯一の 地として、世界遺産登録をめざしています。
○第4 回「国への推薦要請と今後について」
 今回の推薦要請は、地元自治体で進めてきた今まで の準備作業から、国との協働で最終的な推薦書を仕上 げていく段階へステップアップする重要な契機となり ました(詳細は本号1Pを参照)。
○第5 回「鎌倉世界遺産登録推進協議会とは(1)」
 世界遺産登録は市民とともに進めていくものであり、 登録の意義を多くの人に理解していただくため、市民 と行政が一体となって設立された会です。世界遺産登 録をめざして、さまざまな取組みが進められています。
○第6 回「鎌倉世界遺産登録推進協議会とは(2)」
 推進協議会では事業ごとに実行委員会が置かれ、鎌 倉まつりへの参加、会報やマップの発行、フォーラム やワークショップ、連続講座の実施、美術・写真展の 開催など、さまざまな活動を広く展開しています。
○第7 回「鎌倉世界遺産登録推進広報コーナー」
 市民や観光客の方々が気軽に立ち寄れ、鎌倉の世界 遺産登録の意義や目的、内容などについて、映像や遺 物展示などでより理解を深めていただきます。鎌倉生 涯学習センター1階に設けられました。
○第8 回「鎌倉を守り伝えるために」
 鎌倉の貴重な歴史的遺産を世界の宝として後世に伝 えていくために、21 世紀を担う子ども達が、文化財保 護ポスターや世界遺産をテーマとする作文コンクール、 史跡の整備などのような活動に参加しています。
 

文化財保護ポスターコンクール

後世を担う子どもたちに、神奈川県の文化財への関 心を高めてもらうことを目的に、県内の中学生を対象 として文化財保護をテーマにしたポスター展が、神奈 川県教育委員会と鎌倉市、そして神奈川県・横浜市・ 鎌倉市・逗子市世界遺産登録推進委員会の主催により、 今年も開催されました。
 「世界遺産登録をめざす 武家の古都・鎌倉」部門では 大西若葉さん(鎌倉市立第一中学校2年)の作品が最優 秀賞に輝きました。大西さんからは「最優秀賞をとれ るとは思わなかったのでうれしいです。源頼朝は鎌倉 の文化を開いた人なので、日本の伝統と技術を伝えら れると思い、題材にしました」とのコメントをいただ きました。
最優秀賞の大西さんの作品 はポスターとなり、来年の 1 1 月頃まで県内の公共施設 や社寺などに掲示されます。  文化財保護ポスター展は 来年も開催される予定です。 中学生の皆さんの豊かな 発想で、ユニークな作品 がたくさん応募されると いいですね。
☆こちらのポスターをお店等に掲示して いただける場合は無料でお配りします。推進協議会事務局 (鎌倉市世界遺産登録推進担当)までご連絡ください。
 

「世界遺産登録推進のための意見交換会」玉縄・大船地区開催

推進協議会では意見交換実行委員会(荒井章委員長) を発足させ、世界遺産登録推進を地域に根差した活動 とするため、地元の文化財を守り伝えている各地域の 自治会や町内会の方々との懇談会を開くこととしまし た。それは世界遺産候補地以外にも貴重な文化財が地 域の共有財産として伝えられていますので、「祭」のよ うに地域ぐるみで伝統文化を守り、運営されている地 元の方々の文化遺産を守る努力は、鎌倉の世界遺産登 録とその後の世界遺産を守りながら鎌倉らしい町作り を進めていくのに不可欠と思われるからです。
 第1 回として、平成21 年11月25日、鎌倉市役所で、 推進協議会と大船・玉縄地区の自治会・町内会との意 見交換会が開かれ、30名を越す出席者が「あなたの足 元の文化財を守り伝えていくために」というテーマで 活発な意見を交わしました。
 まず、内海恒雄広報部会長は、推進協議会の活動につ いて説明し、鎌倉時代の古都鎌倉は全市域を超えており、 世界遺産登録推進活動に全市民の共通の課題として取り 組むため、地域の文化財継承の様子を伺いたいと話しました。  次に、鎌倉市自治町内会総連合会会長の田中八郎さん、 鎌倉ロジュマン自治会会長の石井英明さん、大船自治 町内会連合会会長の岩佐勝司さんから現状報告が行わ れました。玉縄祭や首塚まつり、ロジュマンまつりな ど年間19 件の祭が続いており、「地域の絆・玉縄の 底力」になっているとのことです。
 参加者の意見交換では「世界遺産に対する地元の関 心は薄い」「大船地区の町づくりがどうなるか」「オー ル鎌倉の動きになっていない。全体で運動を支えるも のにしなくては意味がない」など現状の問題点も指摘 されました。その一方では「鎌倉には泊まれるホテル がないので、大船に大きな宿泊施設を作って旧鎌倉と 連動させたらどうか」など鎌倉全体の役割分担を前提 とした積極的な開発計画も出ました。
 「大船は成田エクスプレスの終点。江の島にもモノレー ルで行ける。旧鎌倉、江の島、大船を含めたパッケージ構 想で外国人観光客の足をとめさせることも大切」といった 提案は、国際観光都市として自覚し、街をあげてのインフ ラづくりにもつながるものです。さらに世界遺産の精神に もつながる周辺地区の役割を見据えた様々な構想も紹 介されました。その一つは「玉縄地区での老女の昔話 を聞きましょう」との呼びかけです。いずれも次世代に誇 りを持って残していける町づくりの基礎になるはずです。  「大船の町づくりをどのように進めていくのかが私の 役割」(岩佐さん)、「祭に示された地域の力を盛り上げ て鎌倉の発展のために役立てたい」(石井さん)との思 いも表明されました。会場からは「世界遺産はゴール ではなく、スタートである。鎌倉をすばらしい町にす るきっかけとして世界遺産を考えていきたい」との熱 いエールが寄せられました。
 意見交換事業実行委員会は協議会の一組織として 2009 年に創設されたもので、大船・玉縄地区をスター トに鎌倉市内の他地区とも意見交換を続けていくこと になっています。
 

《玉縄城築城500年祭 実行委員会》発会式と記念講演会

平成21 年11月22日、玉縄城跡にある清泉女学院中学 高等学校講堂で、《玉縄城築城50 0年祭 実行委員会》 の発会式と記念講演会が開かれ、推進協議会も共催参加 しました。
 当日は松尾崇鎌倉市長もかけつけ祝辞を述べられまし た。基調講演として、県立歴史博物館専門学芸員の鳥居 和郎さんが、「後北条一族の戦さと暮らし」を講演され た後、NPO 法人鎌倉考古学研究所監事 伊藤一美さんの 司会でシンポジウム「武家の古都鎌倉に後北条が遺した もの」が開催されました。パネリストは鳥居さんと小田 原市教育委員会学芸員の山口博さん、青山学院大学講師 の真鍋淳哉さんです。
 鳥居さんは「たけだけしい野蛮な英雄で下剋上的な 人物」というイメージが強い後北条一族だが、実はその イメージと反対の人物像が資料から浮かんできたと強 調しました。室町幕府につながる優雅な文化人とも言っ ています。後北条五代の基礎を築いた北条早雲が緻密 な構想で玉縄城を築城したいきさつを語りました。三 浦氏一族の牽制など相模支配の拠点としたとの説です。  また玉縄城の文化的側面として小田原の連歌会が玉 縄北条家でも学習されたという歌道の伝統も強調され ました。和歌と一緒に身につける蹴鞠や出陣にあたっ ての作法として絵画も伝えられているとのことです。 シンポジウムでは玉縄城について房総までの海の安全 を守る水軍との重要 なかかわりがあった こと、各地に転戦す る玉縄北条氏の枢要 な軍事拠点だったこ となどの特色が明ら かにされました。

 

Event! the 世界遺産

観光振興シンポジウム
鎌倉の魅力再発見 〜世界遺産登録をめざして〜

プログラム
講    演 :「鎌倉の魅力」 ピーター・ミラーさん(銅版画家)
中国琵琶演奏 :陳麗華さん(琵琶演奏家)
パネルディスカッション : 「鎌倉のもつ魅力と課題」
 コーディネーター……久能 靖さん(ニュースキャスター)
パネリスト……アナン・ビイ・メタさん(会社経営)、ウィルソン・ヘザーさん(明治学院大学講師)、
グエン・ゾン・ミンさん(大学院生)、佐藤ステファニア・バルディさん(通訳)
とき  平成22 年2月27日(土)午後2 時〜 4 時30 分   ところ   妙本寺 本堂
主催  鎌倉市観光振興推進本部     共催  鎌倉世界遺産登録推進協議会     企画・立案  (社)鎌倉市観光協会
申込期間  1月15日(金)〜2月15日(月)   定員  先着20 0 名   参加料  無料     
申込方法 住所、氏名(ふりがな) 、電話番号、FAX番号、「観光振興シンポジウム申込」と記載の上、FAX または電話にて下記まで
申込先 (社)鎌倉市観光協会 電話:0467-23-3050 FAX:0467-22-3516

第52回鎌倉まつり
「鎌倉の世界遺産登録をめざして」

今回もメインテーマは「鎌倉の世界遺産登録をめざして」です。今年も若宮大路のパレードに当推進協議会が参加します。 また、毎年大変ご好評いただいている世界遺産候補地の特別拝観や、鎌倉の世界遺産についての講演会を行います。 たくさんの市民の皆様のご参加をお待ちしています。
鎌倉まつり期間  平成22 年4月11日(日)〜4月18(日)午後1 時〜 4 時10 分   主催 (社)鎌倉市観光協会
プログラム
(1) 11 日(日)…………若宮大路パレード
(2) 12 日(月)〜16日(金)…世界遺産候補地の寺社特別拝観めぐり
         昨年度は建長寺西来庵・円覚寺舎利殿・寿福寺仏殿・浄光明寺覚賢和尚墓・極楽寺本堂・一升桝遺跡などを特別拝観しました。 今年も同規模の特別拝観を寺社にお願いして実施する予定です。
(3) 17 日(土)…………<もっと知ろう! 世界遺産> 講演会「中世都市鎌倉の面影を求めて」
         講師:高橋慎一朗 東京大学史料編纂所准教授
         中世都市の面影を残す鎌倉の魅力を、史学の視点からお話しいただきます。
◎当日は平成21 年度「世界遺産登録に向けての中学生作文コンクール」受賞者の朗読や、高校生による研究成果の発表も行う予定です。

 

編集後記  

鎌倉の世界遺産登録も文化庁に推薦要請が行われ、早期登録実現への着実な歩みが見られます。 これからはユネスコ世界遺産委員会へ「推薦書」を提出するため、国と四県市が協働して作業を進めるわけですが、 二度の国際会議では、課題とされた「武家文化の分かりやすい説明」や「山稜部の積極的評価」などと共に、遺産保護についての市民の役割も強調されました。
 これらの課題に応えるように「どう守る 私たちの世界遺産」というワークショップや「北鎌倉のまちなみ」ツアーと 「北鎌倉の文化資産と周辺のまちづくり」というシンポジウムも開かれました。
 世界遺産登録も行政が進めるだけでなく、私たち市民が世界遺産登録を契機に、鎌倉のすぐれた文化資産を積極的に周辺のまちづくりに生かしたり、 それを後世に守り伝えていく活動を活発に行っていくよう頑張りたいものです。
広報部会長 内海恒雄

鎌倉世界遺産登録推進協議会ホームページ只今更新中!

http://www.shonan-it.org/KWH-kyogikai/

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