鎌倉世界遺産登録推進協議会
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武家の古都・鎌倉ニュース第16号

 

鎌倉世界遺産登録推進協議会 平成22 年度総会開催
新会長に松尾市長就任 養老前会長は特別顧問に

 2 010 年5 月21日(金)、鎌倉商工会議所において、 「鎌倉世界遺産登録推進協議会(以下「推進協議会」 という。) の平成22 年度役員会、総会が開催されました。  総会に先立って行われた役員会において、会長職 の退任を表明していた養老孟司会長の後任に松尾市 長が推薦され、全員一致で会長就任が了承されました。 あわせて、平山郁夫画伯の逝去により空席となって いた特別顧問に、養老前会長が就任することも了承 されました。
 総会の第一部は、吉田茂穗副会長による挨拶で開 会し、松尾市長の新会長就任、養老前会長の特別顧 問就任が報告されました。
 松尾新会長は就任の挨拶で「推進協議会の会長は養 老前会長のように市民を代表される方に務めて いただいた方がふさわしいと考える。養老先生 の退任は非常に残念だが、世界遺産登録も大詰 めの重要な時期に来ており、前会長の『さらな る発展のために、次の世代に引き継ぐべき』と いう思いを受け止め、新しい会長としてその任 を全力で務めたい」と意気込みを語りました。  また、特別顧問に就任した養老前会長は「平 成18 年の設立以来、80 を超える団体の参画を 議会のさらなる前進のためにも、会長職を次の世代に 引き継ぐのが良いと思い、会長職を辞することといた しました。次期の会長を、行政職のトップであり、ま た若い世代である松尾市長に受け継いでもらうことは、 推進協議会のさらなる飛躍に向けてふさわしいものと 受け止めています。鎌倉の世界遺産登録については 今後も支援をしていく気持ちであり、推進協議会では 特別顧問としてバックアップしていく役割を担ってま いりますので、ご理解よろしくお願い申し上げます。」 とのコメントが寄せられ、読み上げられました。
 出席役員の紹介の後、議事は松尾会長によって進 められ、内海恒雄広報部会長により、平成21 年度の 事業について、映像を交えて報告されました。続いて 事務局より平成21 年度の収支決算の説明、深山照世 監事より監査報告があり、いずれも承認されました。  平成22 年度の事業計画については奴田不二夫登 録推進事業部会長から、平成22 年度収支予算は事務 局から説明があり、それぞれ承認されました。
 続く第二部では、世界遺産登録推進に関する準備 状況について、事務局より報告されました。映像資 料を用い、これまでの登録に向けた取組みを振り返り、 今後は年度内に国からユネスコへ登録の推薦がされる よう、推薦書の作成を国とともに進めていくことが 報告されました。

 

第52 回鎌倉まつり報告
「鎌倉の世界遺産登録をめざして」

今年も「鎌倉の世界遺産登録をめざして」をテーマ にして、鎌倉の春を告げる鎌倉まつりが、鎌倉市観 光協会・推進協議会主催で行われました。国内・海 外から訪れたたくさんの観光客や地元の人々が沿道 を埋め尽くしたパレード、毎年人気の寺社特別拝観 めぐり、きらら鎌倉ホールをいっぱいにした「もっと 知ろう!世界遺産」講演会など、推進協議会も全力 で応援し、歴史と観光の都市鎌倉をアピールしました。
  ◎若宮大路「パレード」
 4 月1 1 日(日)、心地よい春の陽のもと、鎌倉まつり の幕開けを飾るパレードが行われ、40 団体、約2400 名が参加しました。推進協議会から奴田不二夫登録 推進事業部会長とともに参加したフランス大使館の ジェラルドさんとサムエルさんは甲冑姿を披露し、 「秋にフランスに帰り、母国の人に鎌倉の素晴らしさ を伝えたい。ユネスコ本部にも鎌倉をアピールしたい」 とうれしい言葉を頂きました。また県立鎌倉高校の 生徒2 1名も沿道からの声援に笑顔で応え、若さと 熱気あふれるパレードになりました。
◎寺社特別拝観めぐり
 4 月12 日(月)〜 16 日(金)、鎌倉の世界遺産候補地 をめぐる寺社特別拝観めぐりが、推進協議会・内海恒 雄広報部会長の案内により行われました。世界遺産候 補地の寺社には、史跡や文化財などの通常公開されて いない部分も含めた特別拝観をお願いし、そのご指導 とご理解をいただきながら寺社本来の在り方に配慮し た拝観の心得を守り、より望ましい特別拝観を実施し ようというものでした。
 4月12 日寿福寺の仏殿の釈迦三尊像などと、浄光 明寺の阿弥陀三尊像や覚賢和尚の墓などを特別拝観す る予定でしたが、雨天で中止しました。
 4 月13日覚園寺では、副住職のご案内で愛染堂の 愛染明王像、薬師堂の薬師三尊像、内海家住宅、地蔵 堂の黒地蔵像などと、千躰地蔵堂の千躰地蔵像を特別 拝観し、お茶をいただき感激しました。永福寺跡を見て、 瑞泉寺では仏殿の釈迦如来・千手観音像などを特別拝 観し、どこも( 苦)地蔵や庭園を拝観しました。
 4 月14 日鶴岡八幡宮では、若宮の正式参拝をして 社殿を特別拝観し、本宮の立派な本殿、宝物殿、室町 時代の丸山稲荷社などを拝観しました。法華堂跡では、 白旗神社や源頼朝墓を拝観しました。荏柄天神社では、 拝殿で参拝し、脇から鎌倉時代の本殿を特別拝観しま した。
 4 月1 5 日建長寺では、仏殿・法堂・方丈などと、 山門の釈迦如来や羅漢像、西来庵の昭堂や大覚禅師像、 禅居院の聖観音菩薩・大鑑禅師像などをご住職などの ご案内で特別拝観しました。

 

講演会 もっと知ろう、世界遺産(第3弾)
中世都市鎌倉の面影を求めて

東京大学史料編纂所准教授  講師/高橋慎一朗さん

4月17日(土)、鎌倉市観光協会・推進協議会共催に より、きらら鎌倉ホールで、東京大学史料編纂所准教 授の高橋慎一朗さんの講演が開催されました。当日は、 先に「第3 回鎌倉世界遺産登録推進に向けての中学生 作文コンクール」の最優秀賞受賞者による作文の朗 読、「鎌倉と和賀江嶋」と「鎌倉の山々」について、実 際に現地を歩いた県立鎌倉高校による「かまくら学」 の研究成果発表が行われました。
 以下は高橋慎一朗准教授の講演要旨です。

 鎌倉は何度でも訪れたい街である。人々を惹きつけ る鎌倉の魅力はどこにあるか。古いものが残っている。 それだけではない。鎌倉は一つの時代を象徴する歴史 ある街であり、若宮大路や和賀江嶋だけでなく、街の 構え、街のたたずまいが現在まで引き続き残っており、 それが替えがたい魅力として人を魅了する。
 自然環境は鎌倉幕府のできたころから、ほぼ変わっ ていない。ただ、現在の鎌倉は照葉樹林が多いが、 鎌倉時代は松の木が多かったことが花粉分析でわ かってきた。山が利用されると松が増えてくる。松の 木があるのは人の手が入っている証拠。つまり、鎌倉 時代、鎌倉の山には人の手が入っていたということだ。 大きな地形は変わっていない。
 山と山に挟まれた小さい谷の部分を「谷戸(やと)」という。 この山と谷戸でつくられた鎌倉のたたずまいが鎌倉の 魅力だ。新緑の季節、雨の後など非常にいい雰囲気を 出している。谷戸の奥に行くと、静かな環境が保た れている。風の音、鳥の声、そういった環境が鎌倉 の魅力のひとつになっている。
 都市の構えは鎌倉時代に基本的にできあがり、現代 まで残っている。街の中心の小高いところに鶴岡八 幡宮が鎮座して、そこに向かってメインストリートで ある若宮大路が伸びている。その両側に居住部分があ り、その外側の谷戸の部分にまで居住地が広がってい る。谷戸の中にはお寺、神社、館が建てられ、今も 遺跡として残っている。こういったものが谷の静かな 自然環境とセットになって、非常に良い雰囲気の古都 のたたずまいというものを残している。このように、鎌 倉で重要な位置を占めているのは山と谷だ。
 鎌倉は京都よりは遥かに規模が小さく狭いが、ここ にたくさんの人が集まってきて住んだ。幕府の関係者、 商人、宗教者、次々に集まってきて住むから、若宮大 路沿いでは間に合わない。山とさかいのぎりぎりの部 分にまで人が住み、新たなタイプの都市が構成された。 山と山際の部分を積極的に取り込んだ都市。今もその 地形を生かした形の住宅地が造られている。
 山の名前は、鎌倉時代に遡るものはほとんどないが、 唯一、六国見山は、鎌倉時代に使われていたと言って よい。円覚寺の境内を描いた絵図が建武元年(1334) から2 年(133 5)頃、鎌倉幕府が倒れた直後に作られ ており、そこに六国見と出てくるので、それが一番古 いだろう。現在の鎌倉山と違い、古い史料に出てくる 「鎌倉山」は鎌倉を取り囲んでいる山をそう呼んでい るにすぎない。都の人にとっては、鎌倉は山で囲まれ たところというイメージだったに違いない。
 鎌倉時代に編まれた幕府の記録『吾妻鏡』に見える 山の名前に、大倉山、名越山、甘縄山がある。この山の名 前の付け方は「地名+山」というもの。一つの山ではな くて、一帯の山をひっくるめて呼んでいたのではないか。
 谷戸の名前は亀谷(かめがやつ)、泉谷(いずみがやつ)、犬懸谷(いぬかけがやつ)、葛西谷(かさいがやつ)など『吾 妻鏡』に多くみられる。比企谷、小笠原谷のように、 有名な御家人の家名がそのまま谷戸の名になっている など、谷戸は暮らしと密接に関わって様々な名を残し ている。こうしてみると鎌倉の街は谷戸や建物のある場 所が中心で、山は屏風みたいなものとして発想されてい たらしい。
 切通は交通の要所。商売しやすい場所、将軍が納涼 や雪見など遊びに出かける場所だった。葬送の場でも あり、また陰陽師の祭りなども行われていた。
 伝統を持って、歴史の記憶を積み重ねてきた山々 と史跡をセットにして保護していきたいというのが皆 さんの願い。それを実現するのが世界遺産だ。全人類に とって貴重な文化財を護ろうという、一種の決意表明。 こういった保存に対する決意表明と言う点では、鎌 倉は早い時期から取り組んでいる。それが昭和3 6年の 御谷騒動から古都保存法に結実し、鎌倉風致保存会 が結成されたという永い伝統がある。このことが、谷 戸景観の保存から生まれたというのが象徴的である。
 最後にひとつ。世界遺産登録が現実化するなかで、 鎌倉に本格的な歴史博物館がないのは本当に残念だ。 平泉にもあるのに、なぜ鎌倉にできないのか。皆さん の叡智を結集して、建てたいと思う。

 

緊急インタビュー  鶴岡八幡宮神木・大銀杏の現状と再生の行方

平成22年3月10日未明、鶴岡八幡宮のご神木である大銀 杏が強風で倒れて4か月。再生に向けて着々と準備が進めら れています。十年、百年先を見据えた再生過程は、世界遺産 の理念に沿うものでもあります。大銀杏の保全・管理のトッ プである、鶴岡八幡宮宮司吉田茂穗さん(鎌倉世界遺産登録推進協議会副会長)、 神奈川県生涯学習文化財・世界遺産登録推進担当課長(現文化遣産課長)西條由人さんに伺いました。

一 大銀杏が倒れたと知った時はどんな思いでしたか?
吉田:大銀杏が倒れたのは、冷たいみぞれ混じりの強 風が吹き荒れた3月10日の午前4時40分頃のことで した。私は、ご本殿の裏の方に住んでおりますので、 職員からの電話で大銀杏が倒れたと知らされ、すぐに 石段の上の本殿の前までかけつけましたが、それはあ りえない光景でした。しばらく呼吸を整え、とにかく 騒ぐ心を鎮めました。最初に頭を過ぎったのは、責任 者として木を守り切れなかったということに対する申 し訳なさでした。
現場にかけつけた職員に伝えたのは、千年の長きに わたって神社と参詣者を守り続けてきた歴史に感謝し なければいけないということと、木霊・精霊が宿って いるので、静かに休んでほしいという鎮魂の気持ちで、 米・塩・酒を木に散供(さんく)することと、重機を手配するこ とでした。この大銀杏の倒れた姿を、大勢の参拝者の 目に触れさせたくない、覆い隠したいという思いもあ りました。
西條:30センチから40センチの口径の大きさの主根4 本が倒木した際にすべて折れてしまいました。東京農 大の浜野周泰教授(造園樹木学)の所見では、4本と も既に枯死していたそうです。残っているのは小さな 根で、その根から「ひごばえ」が育つことに期待して そのまま残し、倒れた幹についても、根もとの部分も 合めて一段下がった場所に移植して再生を願うことに したのです。昨年秋に、浜野先生が木の診断をした際 には、幹自体には特に問題はなかったとのことでした。 ただ幹の下の根の部分までは、気がつかなかったと おっしゃっていました。こうした状況を考えると老衰 といった状態にあったと考えるのが妥当ではないで しようか。
一 どのように再生を考えておられるのですか
吉田:当初再生は絶望と報道されました。しかし、後 悔をしたくありませんでしたから、でき得る手はすべ てやろうと思いました。専門の先生の診断によります と、根は枯渇し中が洞(うろ)の状態でした。それでも再生可能 になるように、根元から4メートルのところで切 断し、元の場所から7メートル下段のところへ据え付 けました。元の場所に残された根の塊りにある「ひこ ばえ」を親木が見守る姿になりました。
一 樹齢を調べたらどうかとの声も聞かれますが?
吉田:植物学者が年輪を調べれば分かるようなところ もあるだろうと思います。今回もいろいろな学者から 調査したいという申し入れがかなりありましたが、一 切お断りしました。信仰の対象ですので、調べて何年 ということがわかったとしても、どうにもならないこと です。
西條:昭和30年に県の天然記念物に指定されましたが、 樹齢に基づいて指定されたわけではありません。市民・ 県民にとって大切な木だという判断があり指定された ものと思います。今回はもとの状態に戻ることは困難 だと判断して、事実上の指定解除をしました。大銀杏 のDNAを次代に引き継いでいきたいという気持ちは 県も同様であり、再生に向けた取り組みを最優先に考 えました。そのため、再生に向けた対応の妨げになら ないように、指定にともなう法的な拘束を早期に解除 する必要があったのです。
一 世界遺産の観点で考えなくてはならないことは?
吉田:かってそこで息づいていた人たちの感性とか思 いとか、そういうものが建物あるいは町並みに込めら れているはずです。それを孫やひ孫へとつないでいこ うというのが世界遺産の意義でしょう。魂だとか思い といったものが、時代の経過とともに大銀杏に寄せら れてきました。目にする光景こそ変わったものの、そ の心をつないでいかねばなりません.
西條:国指定史跡としての学術的な価値判断という面 では、鶴岡八幡宮の境内全体をとらえているので、大 銀杏が倒れてもその価値は何ら変わりません。世界遺 産としての価値や評価も変わりません。市民がここで (大銀杏を)守っていくのだという姿を外に発信するこ とで、武家の古都・鎌倉の世界遺産登録に向けた市民 全体の思いが伝わるのではないでしょうか。

 

『武家の古都  鎌倉塾』  平成22年度春季講座 ‘歴史遺産と生きる’ 第1回講演要旨
瑞泉寺の庭園と生きる

講師:瑞泉寺住職 大下一真さん
とき:平成22年5月8日(土)    ところ:瑞泉寺客殿

◎瑞泉寺庭園の発掘調査
 瑞泉寺は1327年に建ち、翌年にはもうこの庭があったという記録がある。
この庭はある時から埋まっていて、それを発掘復元したのが昭和44、5年、私の学生時分だった。 瑞泉寺の地は西からわずか北に開け富士山を望むが、先代の住職は「富士山からこっちはうちの庭」と言っていた。
当時の庭には小さい池があり、そこは夢窓国師の庭ということで県の文化財に指定されていた。元禄年間に水戸光圀が編んだ『新編鎌倉志』に絵が載っている。 先代は今の庭はどうも違うのではないかと感じていたので、庭を一度発掘してみたいと思っていた。
庭は一度壊すと元に戻らないので、文化財の庭を発掘するのは大変なことだが、文化庁にも筋を通し、吉永義信先生監修で発掘にかかった。 石を除き掘り進め、鎌倉石の岩盤の形が出てきたら『新編鎌倉志』の絵のとおり、池も大きなものだった。絵はかなり正確だが、水分石(みずわけいし)も出てきた。 それらは絵にはなかったものである。滝のためのダムも出たが、滝などの造りは元禄年間にはもうなくなってたようだ。
次には、鎌倉石の岩盤で「これが庭か?」という点や、風化による剥落が問題になった。風化に対しては、ひび割れに人工樹脂を注入する補修で防ぐことにした。費用も相当掛かった。
◎へん界(へんかい)一覧亭(いちらんてい)を含む瑞泉寺庭園
橋を渡り18曲りした後、山に登るとへん界一覧亭だが、これらも含めて瑞泉寺庭園であり、富士の眺めを借景に取り込んだ規模の大きな造園だ。
平成11年の開山忌650年の年には、へん界一覧亭も改修した。一覧亭からは江の島、箱根、富士と続く見事な眺めがあり、毎日水と道具を持ち登って行った大工からも文句の出ない環境である。
夢窓国師の庭の特色はスケールの大きさで、比叡山と嵐山を望む天龍寺庭園などが好例だ。先代は「夢窓国師の庭にはツボがある」と言っていた。 
遠くでは、高知で作った、浦戸湾・市街・山並を見渡す吸江庵の庭があり、近くは箱根堂ヶ島温泉対星館にある庵跡も、谷底の河原に面する環境が意外に広く、これらはチマチマしない大スケールの庭・立地の例だ。
◎自然体で管理する
何で庭を作るかというと訪れる人にホッとして貰えるからで、景色には人を癒す力がある。
環境を選んで寺を建てるのは、来る人の心を養い自らの心も養う。ここに登ってくることは開山様の教えを自ら学ぶことで、跡を守る者は掃除だけをしていろ、と先代は申していた。
この掃除というのが、何千坪もある境内で大変だ。発掘後40年近く経つので、そろそろまた工事をと思っている。18曲りも樹がうっそうとし過ぎているので、いま試みに手を入れている。
名勝管理の集りに出ると内輪話で、人件費が高く、庭は金喰い虫という話になるが、ここは年間でひまをかけ整備しようと考えている。
瑞泉寺庭園は山の中、その管理は自然体で行こうと思っている。京都の庭のような精微な手の入れ方は考えていない。東京などでは、隣の建物が目に入ってくる時代だが、 ここは有難いことにそうした心配がなく、世界遺産になって守られるのも有難いと思っている。
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講演に引き続いて普段は公開されていないへん界一覧亭や足利基氏廟の特別拝観が行われ、参加者から「とても有意義な時間が持てた」と喜ばれました。

 

News! the 世界遺産

いざかまくら塾 第4 回「鎌倉の心 長崎の祈り」
〜世界遺産登録と市民活動〜

6 月6 日(日)、鎌倉商工会議所地下ホールにおいて、 いざかまくらトラストと鎌倉世界遺産登録推進協議会 の共催で、世界文化遺産への登録をめざしている「長 崎の教会群とキリスト教関連遺産」についての講演と、 長崎・鎌倉コラボのパネルディスカッションが開かれ ました。講演は、長崎県知事公室世界遺産登録推進室 の日高真吾さんを講師にお迎えし、パネルディスカッ ションは伊藤正義・鶴見大学教授をコーディネーターに、 日高さん、村田佳代子さん(画家・文筆家)、内海恒雄 推進協議会広報部会長がパネリストとして参加し、鎌 倉と長崎の市民が大切に護り伝えてきた文化遺産の価 値をどのように世界に知ってもらうか、市民の役割等、 活発な議論が行われました。

日高真吾さんの講演要旨
◎長崎とキリスト教
 16 世紀半ばに伝来したキリスト教 は、その後の禁教政策によって、長く 厳しい受難の時代に入ったが、幕末の 元治2 年(1865)、大浦天主堂に浦 上の信徒数名が現れ、神父に信仰を告白した。い わゆる「信徒発見」である。25 0 年の潜伏を経ての 信徒復活の知らせは、宗教史上の奇跡といわれた。  そのような歴史を背景に、現在長崎のカソリック教 会や信者数は、比率の上で他府県を圧倒している。
◎長崎の教会群とキリスト教関連遺産
 世界遺産登録の対象となっている文化財は以下の通 りである。キリスト教伝来当初の遺産として日野江城 跡・ポルトガル伝来のカマボコ型墓碑・二十六聖人殉 教地・原城跡など。キリシタン復活以降の文化財と して、信徒発見の舞台となった国宝の大浦天主堂以下、 離島を含めた県内各地に復活していった教会・天主堂・ 旧神学校・旧救助院・旧司教館などの施設や先駆的 な福祉を行ったド・ロ神父遺跡などである。バッファ ゾーンである周囲の景観とともに、西欧とは異なる日 本独自のキリスト教伝来と受容の歴史を示す希有な遺 産であり、顕著な普遍的価値を持つ可能性は高いとし て、平成19 年、文化庁の世界遺産登録の暫定一覧表 に掲載された。
◎現状と問題点
 農漁業の不振などにより、教会を支える信者の減少、 高齢化が進んだ離島などの限界集落では、文化財の 維持・管理も難しくなっている。
◎登録へ向けての組織
 暫定一覧表に載ってから教育庁内の推進室から知事 公室の世界遺産登録推進室に移管され、現在13 名の 組織となっている。また知事を中心にした登録推進 本部、知事と首長による登録推進会議が設けられ、県 議会の中には登録推進特別委員会が作られた。本年 度中に世界遺産登録推進協議会を立ち上げる予定。 民間では平成1 3年に、「長崎の教会群を世界遺産にす る会」が設立された。他にN P O「世界遺産長崎 チャーチトラスト」・NPO「長崎巡礼センター」などが ある。また地域での取り組みとして、民泊、耕作放棄 地での牧草栽培、学習田、ボランティアなどの活動が あり、それらの活動を行政と連携しつつ効率的に運 営する方向を目指している。

パネルディスカッションでの意見要旨   ※敬称略
村田:長崎の場合は、教会建築のみでは困難で、ド・ロ 神父による文化の流入や遠藤周作の記念館の存在意 義など様々な角度で捉え、九州全体の キリスト教関連遺跡も踏まえ、精神文 化を加えた推薦書にすることが望ましい。 浦上天主堂の被爆のマリア像などは負 の遺産として採り上げる必要があると思う。
日高:キリシタン発見後もカソリックに復帰せずその まま隠れとして信仰を守っている集落や隠れの聖地 などがある。それも資産の重要な構成要素である。
内海:古都保存法制定の端緒となった御谷騒動や平和 都市宣言にみられるように、鎌倉の文 化遺産は知識人などの市民の心によっ て守られ伝えられてきた。特にウォー ナーの精神を継承する鎌倉同人会の果 たした役割は大きい。市民の力で文化 財を守ろうとする意識を長崎に学びたい。
伊藤:殉教や隠れキリシタンなどは世界史的に見ても 特殊で豊かなストーリーを構成する。 文化財の概念や文化財も変化しつつ 生き続けている。それを捉えるには新 たなロジックが必要。地域の文化財を 広く日本の文化財にするためには、地 域を越えての市民運動に参画していく必要がある。

 

めざせ!世界遺産登録

環境美化から世界遺産登録    湘南鎌倉ライオンズクラブ

20 05年に設立目的を「環境美化」と「献眼」に特 化し発足しました。「環境美化」は、25 年以上続けてい る七里ケ浜クリーンコミュニティとの海岸清掃と「源 氏山公園」「葛原岡」近辺の美化が中心となっています。 他の清掃団体と違うのは、海岸での「秩序維持」と「遊 びのルールの徹底」をはかっていることです。 
 世界遺産に関わったのは、米軍の空爆から除外され た鎌倉・京都・奈良に共通する日本の価値を再発見す る時が来たのではないかということと、ゴミの山をなく し、人類の遺産と言われる先人の遺したものを後世に つないで行くのは、現代人の責務であると考え、協議 会に参加しました。徐々にメンバーが世界遺産にめ ざめ、催し物に参加する人が増えています。
 メンバーの高谷利彦さんは、「世界遺産は全人類の ものですが、地域が密接に関わり、町全体が恩恵を受 けることも考えるべき。遺産の私物化を考えると、『世 界遺産管理団体』 を作り、保護・管 理して変形させ ないよう、資金も 確保する必要が ある」と話してい ました。

 

若宮大路に松並木を再生!    鎌倉市政を考える市民の会

平成15年秋、鎌倉市の 呼びかけで開催された 「明日の鎌倉を創る市民 百人会議」に参加した市 民の有志が集り、市民に よる提言が行政計画に 反映され、その評価までを市民が行なうことを目指し、18 年4月に「鎌倉市政を考える市民の会」が発足しました。  行政運営、まちづくり、市民生活の三部会の議論を 経て、意見書の提出や提言を行い「駐車場建設に何ら かの規制が必要」という提言は鎌倉市コインパーキング の設置等に関する指導要綱として実現しました。
 また古都鎌倉の象徴ともいうべき歴史的な道路であり、 世界遺産の候補地にもなっている若宮大路に昔日の松 並木を再現しようと、行政機関との協働で平成20年か ら松の植樹を始めました。一の鳥居から海岸部までの 地域を市民の憩いの場として整備し、世界遺産のまち にふさわしい街路にしようという「若宮大路松並木再 生プロジェクト」です。
 会の世話人である松山淑郎さんは「これまでに植え た松は7本ですが、毎年少しずつの植樹を通して多くの 市民の理解を深め、若宮大路全体の景観改善に尽力し ていきたい」と話していました。

 

「古都鎌倉の世界遺産登録』ってなに?
第15回 瑞泉寺が持つ鎌倉の武家文化の特徴とは?

瑞泉寺は、臨済宗円覚寺派に属する 寺院で、嘉暦二年(一三二七)に、禅 僧の夢窓疎石により開かれました。当 時、夢窓は第十四代執権であった北条 高時と親交があったようで、金沢文庫 文書に残されている?崇顕金沢貞顕書 状?には、元徳二年(一三三〇)のある日、 円覚寺にいた夢窓は、高時が瑞泉寺に 向かっているという話を聞き、大慌て で瑞泉寺に行ってお茶を振る舞った、 ということが書かれています。  寺が創建された翌年の嘉暦三年(一 三二八)に、夢窓は寺の背後にある錦 屏山の山頂に?界一覧亭を構えました。 これより後、ここに名僧が集まって詩 会を催したり、鎌倉公方が観花の会を 催したりしました。一覧亭は、数度の 廃絶と復興を繰り返した後、昭和十年 (一九三五)に再建され、今に至って います(非公開)。  瑞泉寺において、鎌倉の武家文化の 特徴を最も顕著に表わしているのは、 本堂?仏殿?の背後にある池庭です。 これは一覧亭ととも、夢窓による作庭 と考えられ、昭和四十四〜四十五年(一 九六九〜一九七〇)の発掘調査によっ て本来の姿が明らかにされました。山 の中腹に露出した岩肌をくり抜いて壁 面や池を造り出し、元々の地形と岩盤 の美しさを活かした庭園となっていま す。初期禅宗庭園の典型として、後に 夢窓が京都で造った天龍寺や西芳寺(苔 寺)などの庭園にも大きな影響を与え ました。 

 

Watch! the 世界遺産

大船まつり
 推進協議会では芸術館通りにブースを設置。マップ、 バッジ、ステッカーを配布して世界遺産登録をアピール!

「鎌倉の心 長崎の祈り」写真展
 きらら鎌倉地下ギャラ リーにて。長崎の白井綾 さんの写真30 枚、鎌倉の 候補資産23 枚、特別出 展の画家・村田佳代子 さん作「長崎教会スケッ チ」衝立に感嘆の声。

 

Event! the 世界遺産

鎌倉世界遺産登録推進協議会主催
シンポジウム「世界の中の鎌倉 〜世界遺産登録をめざして〜」

日本を愛し、鎌倉に居を構えるリシャール・コラスさんと、各地の世界遺産に造詣の深い星野知子さんに、 世界文化の中の日本と、鎌倉の文化遺産についてお話を伺います。
出演者 リシャール・コラスさん(シャネル日本法人社長)、星野知子さん(女優)
とき   平成22 年10月23日(土)13 〜15時(開場12 : 30 )
ところ   鶴岡八幡宮直会殿    定員 2 0 0 名  
申込方法   住所・氏名・電話番号・Eメールアドレスを明記し、 はがき・FAX・E メールで下記・推進協議会事務局「10月23日シンポジウム係」へ。定員になり次第締め切ります。
後援 鎌倉市観光協会、鎌倉三日会、古都鎌倉を愛する会、鎌倉ペンクラブ  ●入場無料 

編集後記  

推進協議会の発足以来、会 長を務められた養老孟司氏が 勇退されました。養老会長は ご多忙な中、推進協議会のた め色々ご尽力され、様々な行 事にもご出席いただきました が、挨拶や講演などで話され る内容が独特の発想から生ま れる格調高い内容で、多くの 人を魅了したのはご存じの方 も多いことでしょう。そして 平山郁夫先生の後の特別顧問 として引き続きご指導いただ けるのはありがたいことです。
 新会長には松尾崇市長が就 任されました。世界遺産登録 を間近に控えて、行政と市民 が一体になり登録を推進する には今までにない力強い組織 ができました。行動力のある 若い市長とともに、私たちも 一層の努力をしたいものです。  ?鎌倉の世界遺産登録をめ ざして?をテーマに行われた 鎌倉まつりでは、パレードや 講演会、寺社特別拝観めぐり などに多数の方々のご参加を いただき、世界遺産登録への 意識の高まりを感じることが できました。

広報部会長 内海恒雄

●鎌倉世界遺産登録インフォメーション&放送スケジュール

インターネット
●鎌倉世界遺産登録推進協議会HP
 http: // www. shonan-it.org/KWH-kyogikai/
FMラジオ
鎌倉FM(82.8MHz)…… 毎週日曜12 : 0 0 〜 1 2 : 3 0
 「湘南鎌倉いまむかし」番組後半「鎌倉世界遺産への道」
ケーブルテレビ
●JCN 鎌倉…… 毎週木曜 17 : 10 〜(当日再放送あり)
 7 Days デイリー『一問一答!鎌倉検定の道』


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