鎌倉世界遺産登録推進協議会
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武家の古都・鎌倉ニュース第18号

 

神奈川県知事と鎌倉市長が文部科学大臣へ要請

平成22年10月4日(月)、松沢成文神奈川県知事と 松尾崇鎌倉市長が4県市(神奈川県、横浜市、鎌倉市、 逗子市)を代表して、高木義明文部科学大臣と近藤誠 一文化庁長官を訪問し、改めて「武家の古都・鎌倉」 の世界遺産登録に向けた今後の準備作業について、国 の協力を要請しました。本年度の国からユネスコへの 登録申請は見送りとなりましたが、早期の登録の実現 に向けて要請を行ったものです。
 大臣及び長官からは、「現段階では推薦の時期を明 言することはできないが、推薦書の作成に向けてでき る限りサポートしていきたい」との言葉をいただきました。  4県市では、国際専門家会議で指摘された課題等に ついて検討を進め、推薦書案を平成22年度中に仕上げ ていくことを目指して、文化庁と協働して取り組んでい きます。

 

世界の目線で…リシャール・コラスさんと星野知子さんが対談
シンポジウム「世界のなかの鎌倉」開催

10月23日午後、鶴岡八幡宮 直会殿で推進協議会主催のシ ンポジウム「世界のなかの鎌 倉」が開催されました。シャネ ル社長リシャール・コラスさ ん、文化庁の世界遺産特別委 員会委員で女優の星野知子さ んの基調講演の後、対談でユ ニークな意見を提示されました。

 リシャール・コラスさん
 なぜ世界遺産をめざすのか。目的は明確にしなけれ ばなりません。日本は自然遺産・文化遺産をつぶす のがうまいと思います。国民の遺産も、遺産相続が絡 んで2、3世代の間に素晴らしい環境が完全になくなり ます。素晴らしい庭園や家屋をつぶして、跡にみにく い建物が建ってしまう。そのようなことをなくすため にも、鎌倉は世界遺産になるべきです。
 日本だけの唯一のものである武士のスピリットを世 界遺産として紹介すべきです。日本は中国人の頭の中 では憧れの国です。文化大革命で壊した文化のルーツ が日本にあると思っています。文化のエッセンスのあ る地として京都に行ったり、奈良に行ったり、伊勢神 宮に行くのです。鎌倉はその次です。
 中国人に来てもらって、日本の素晴らしい文化、日本に残 る中国文化の素晴らしさを見つめてもらいたいと思います。
 星野知子さん
 鎌倉は武家・武士の古都。武士を英訳するとサムラ イになります。私たちにとって武士とサムライとは少 しイメージが違いますよね。ただ、鎌倉の価値をわかっ てもらうには、日本側が伝統的に強い欧州の価値観を 踏まえた推薦の仕方をすることが必要です。
 鎌倉には江戸までの長い歴史、政治の形を作ったこ との意義があります。鎌倉市民だけでなく、日本人の 武家・武士との精神的なつながりを世界遺産という形 の中で理解していただけたらいいなと思っています。  地形的にも、いにしえから土地の持つエネルギーが 強い鎌倉です。そのエネルギーを大切にしたまちづく りを進めていただきたいと思います。

 対談では「ストイックなサムライの倫理観、価値観を 鎌倉が世界に向けて発信すべきです」(コラスさん)、 「見て分かるものがないとなかなか難しい。幕府跡の 遺跡も不明確な鎌倉の問題です」(星野さん)など議 論が深められました。

 

国際専門家会議後の鎌倉の現状
文化庁主任文化財調査官に聞く

「武家の古都・鎌倉」の世界遺産登録をめざす3 回目 の国際専門家会議を受けて、4 県市は文化庁と協議を して、平成22年度のユネスコへの推薦を延期しました。 国際会議に参加し、鎌倉世界遺産一覧表記載推薦書作 成委員会のメンバーでもある文化庁の主任文化財調査 官・本中眞さんに「アジアへのまなざし」など国際会 議後の鎌倉が直面する状況について聞きました。
(聞き手:高木規矩郎)
◎国際会議
 会議を通じて問題点が明らかになりました。国内で は潜在的に皆が意識していた問題ではあっても、外か ら鎌倉を見た場合に課題として指摘されると新たな意 味を持つことがあります。われわれ文化庁が関わって、 新たなステージでの取り組みを強めてきたことは事実 なのですが、独自の視点、実際の生の声を聞く機会と いうのはさほど多くはありません。そこで明確化され た課題に対してどのように対応していくかということ になります。それも(登録に向けて)ステップが一段 のぼった段階での話でなくてはなりません。
◎アジアへのまなざし
 国内で鎌倉が大事だということは誰もが分かってい ることです。国際会議では、一国の中で価値があるとい うだけではなく、アジア地域における価値、顕著な位 置づけが大事だということが指摘されました。アジア 全体にとって、鎌倉で起こったことはどのような意味 を持つのか。鎌倉に残された資産が、鎌倉で起こったこ とのすべてを代弁しているのだとすれば、それがアジ ア的文脈の中でどのように位置づけられるのかを明確 化しないと、世界遺産条約が求めている顕著な普遍的価 値(OUV)の証明にはならないということだと思います。  OUVの説明はある程度議論してきました。それに 付随する評価基準についても議論が始まりました。 その裏付けとなる調査研究やアジアとの比較研究も あります。比較研究についてはまだ議論は行われてい ません。さらに範囲が広がってきたところでの保存 管理もあります。それらについて議論が十分に行われ ていないのが現実です。
 鎌倉が評価基準のどれに該当し、どのように説明で きるのかという議論が行われた時に、アジアの中での 位置づけの問題が出てきました。推薦書原案に書かれ ている事柄の裏付けになる調査研究は、日本の国内に おける日本史の観点ではなく、アジア史の観点からの ものでなくてはなりません。つまりアジアの都市遺産 との比較の中で、鎌倉がどのような位置づけなのかを 証明しなくてはいけません。アジア的な視点での具体 的な議論がまだ行われていません。そこにようやく 至ったということです。
 禅がどのように鎌倉に伝わってきたのか、なぜ京都で はなく鎌倉に根付いたのかなど、解明しなければならな い重要なポイントがいくつかあります。歴史的な事象に 即して、外国人から具体的な指摘があったわけではあ りません。鎌倉の国内的な位置づけ、日本史における位 置づけについてはとてもよくわかるのですが、世界的な 視点の下に説明できることが必要であり、その中で直近 のものがアジアの視点だというのが議論の流れでした。
◎保存管理
 鎌倉は多くのお寺や神社などの敷地を選んで、ばら ばらなものを寄せ集めて提案していこうというコンセ プトできています。周りを囲んでいる山がお寺や神社 と一体となっている環境であり、防衛都市として重要 な地形上の役割を持っていて、そこにこそ鎌倉の特質 があるというのが外国の専門家の非常に強いメッセー ジでした。今や範囲は山全体に広がりつつあります。 そこをどのように保存していくのかという考え方の整 理をしていかないといけません。
◎鎌倉の世界遺産登録
 鎌倉の登録の可能性は十分あると思っています。今 取り組んでいるのはどのように説明していくかという ことです。アジアのいろいろな遺産の中で、他の遺産 には欠けているところを見つけ登録することによって、 世界遺産が豊かに肉付けされていくのだということが ちゃんと言えないと駄目です。禅が中国から伝わって きたとか、価値観の伝播も東アジアの文脈の中で動い ているので、結局鎌倉でいろいろなものが出来上がっ ていった過程の大本はやはり中国です。
 残されている時間はそう長くはないので、今回提出 を断念した推薦書も年度内には何らかのメドを立てな くてはなりません。どういう取りまとめになるのか注 視しています。

 

第4回 ワークショップ 開催報告
鎌倉の世界遺産登録へのまなざし

昨年の10月31日(日)午後、御成小学校体育館で、 推進協議会主催、鎌倉の世界遺産登録をめざす市民の 会共催による第4 回ワークショップが開かれました。 県下の各市町村にも呼びかけて集った参加者たちが、 5 テーブルに分かれタイトルに掲げたテーマについて、 活発な討議を行いました。

◎ユネスコ、市民・アジア・世界からのまなざし
 冒頭に総括進行役からワークショップの進行説明と、 そろそろ「鎌倉の真の価値は何か」を見出したいとい う狙いが話され、宮田一雄・伊達美徳・赤川学のコメ ンテーター各氏から討議への参考ヒントが披露され、 テーブル討議に入りました。
 伊達さんはタイトルの「まなざし」に関し、さまざ まな面を述べました。ユネスコ側のまなざし、市民・ アジア・世界からのまなざしはどう見るか?それぞれ のまなざし間のギャップをどう埋め、普遍的価値の認 識に至るか?などです。
 討論の中では、「環境」や「平和」という普遍的価値や、 武士たちの残した精神などが話し合われました。禅宗 の残したものにも評価が集まりました。
 「顕著で普遍的な価値」を示すには内に環境・平和 への配慮を保ちつつも、鎌倉の独自性を示すため、や はり武家の都で推薦をまとめるのか?
 サムライが、機能的に考えてそこから前代より合理 的で偽善のない文化が生まれ、現実に冷静に向き合 うようになったのは事実でしょう。
 伊達さんは「歴史的な過去の遺産に目が向き『文化 という現代に生きる資産』からまなざしがそれている、 そこを市民は感じて『まちづくり手段としての世界遺 産登録』と割り切っている」などとも指摘しました。
◎国際会議報告/丘陵部の評価と推薦の行方
 テーブル意見の発表と講評の間には、第3 回国際会 議で、古都保存法第6 条の歴史的風土特別保存地区に 指定されている丘陵部(以下「古都法6 条地区」)を入 れ鎌倉の登録推薦を行うべきだという方向が出てき た事実も報告されました。過去の討議でも市街を囲む 丘・海の自然に熱いまなざしが注がれていました。登 録を進める4県市・文化庁と、外国専門家たちのまな ざし、市民のそれとが一致してきたようです。
 宮田さんは「登録の先送りは残念だが、待機時間 は熟成期間と考え、まちづくりに歴史を生かす考え が浸透するなら、それも貴重」と指摘しました。
◎テーブル討議で出された意見と総括
 Aテーブルでは「1つ1つはこぢんまりだが個性の 集合体がスゴイ」、「訪れれば解る魅力―歩いて振り 向けば山が」などが語られ、Bテーブルでは「景観の 美は世界に通じる」という発言がありました。Cテー ブルでは低く囲む山・スケールの小ささは「ほっとす る」「暖かい静寂にひたれる」などの評価が出され、D・ Eテーブルでは居心地のよさ、行事とNPO、鎌倉を 知りたい人の多さなどの観察がありました。これら の長所は鎌倉のまちづくりで大事にしていきたいも のです。
 Bテーブルで「そっけない市民をやめる」工夫が語 られました。Dテーブルでは「町内会を活かす、市民・ 行政の協働」、「守ると共に攻める必要、発信」などの 意見が出されました。
 一方、現在そして世界遺産になった時の道路・交 通問題を心配する声も多く出ました。歴史的な町で必 ず出てくる問題ですが、交通需要管理の諸手法や、公 共交通利用で対処して行く必要がありそうです。
 Eテーブルからは、「すごいと思うものが少ない」、 「根本的に見直すべきだ」などの厳しい声も出ました。
 こうした声に対して総括進行役の最終感想は「鎌倉 の文化資産はそれほど壮大でないが、歩いて廻れる中 に街と文化遺産・自然が、身近に共存して居心地がよい。 世界遺産というと豪華・壮大の印象だが、映画界では 小津映画も評価されるようになった。より新しい世界 遺産のタイプをこの鎌倉から提示していく気持でよい のではないか。古都法6 条地区も合わせ、全体を一つ の遺跡とする方向に希望がある」というものでした。

 

News! the 世界遺産

オバマ米大統領の鎌倉大仏訪問

昨年11月14日、横浜でのAPEC首脳会議終了後、 オバマ大統領が鎌倉大仏を訪問されました。
 半月前から20人の機動隊が入り、24時間体制で警 戒するなど、警備は徹底し ていました。大統領は前回の 訪日時のスピーチで、子ども の頃“the great bronze Amida Buddha in Kamakura”を訪れたことに触れ ました。境内を案内された高徳院の佐藤美智子さん (鎌倉ユネスコ協会会長)は「私は“阿弥陀仏”と正確 に伝えたその言葉に深い感銘を受けたんですよ」と大 統領に話しかけられました。
 鎌倉の世界遺産登録の話は出なかったようですが、 その前日に各国首脳夫人が大仏を訪問した際には、 松尾市長が同行し「世界遺産の街」を強調されまし た。これからもこのような機会を捉えて、鎌倉の存在感を 世界に向けて発信する必要があるようです。

 

武家の古都 鎌倉シンポジウム(20) 開催
鎌倉の若者たちと世界遺産─これからの鎌倉を想い描く

昨年11月20日(土)建長寺 応供堂で<武家の 古都・鎌倉連続シンポジウム(20)>が「鎌倉の世界 遺産登録をめざす市民の会」主催、当推進協議会 共催で開催されました。
 20回目を迎えた今回は、今後の鎌倉を担う若い 世代を主役に、鎌倉がめざすべきビジョンとはな にか議論されました。鎌倉で活躍する若者を代表し たパネリストには、上江洲慎さん(鎌倉てらこや  事務局長)、島岡朋子さん(西御門サローネ スタッ フ)、宮部誠二郎さん(Chameleon代表)を迎え、松 尾子水樹さんがコーディネートして、ステージ1 は「鎌倉の若者たちの視点、鎌倉のまちと人から 学ぶ、鎌倉のいまの課題を考える、私たちのめざ す鎌倉のビジョン」が語られました。
ステージ2では若者の一人として松尾崇市長も 加わり、「若者たちとともに鎌倉の明日を―世界 遺産都市鎌倉のすがたとは」をテーマに、鎌倉の めざすべきビジョンについて議論されました。

(波多コーディネーター)市長のグランドビジョンは? (松尾市長)鎌倉で武士の精神を発信していくことが 大切だと思います。
(宮部さん)まだまだ若者は鎌倉の世界遺産登録に 興味を持ってない人が多いですね。
(上江洲さん)僕は登録はどっちでもいいと思っています。 登録されるにあたって三つあって、一つめはブランド、 二つめは権威、三つめは本質的な部分でまちづくりの きっかけになっているので、このようなきっかけになるのな らあと10年ぐらい登録活動をしていてもいいと思います。
(島岡さん)私は鎌倉を国際都市にするためには世界 遺産登録が必要だと思います。
(宮部さん)市民としてはこのまま登録されないと悔しい ですね。めざしているのなら絶対登録されて世界に認 められたいです。
(松尾市長)若いパネリストの皆さんの話を聞き、世界 遺産登録はわかりやすいテーマであるが奥深いものだ と思いました。プライドとして登録されて欲しいという気持 ちはわかるが、それだけに重きを置かず、世界遺産登録 はいいまちづくりの通過点と考え、たくさんの鎌倉を学ぶ きっかけになっている、そこが大切だと思います。
 その他にも「情報を共有できるよう気軽に話し合える 場が必要」「もっと若者にも参加してもらえるように若者 が主役になれる場を作りたい」「電線の地中化や建物 の色彩統一が必要」など、様々な意見が出されました。 これからの鎌倉を動かす原動力となる若手パワーを集 結すべく、若手が中心となるイベントを増やしていくことが 今後の課題の一つでしょう。そのような意味でも今回の イベントは鎌倉を引っ張ってきた先輩たちだけでなく、参 加した若手同士の横の繋がりも広がる有意義なシンポ ジウムとなりました。

 

いざかまくらトラスト 鎌倉文化を学ぶ会 第1回
講演 「 鎌倉幕府滅亡の舞台〜元弘三年、東勝寺炎上〜」

昨年11月14日(日)午後、いざかまくらトラス ト主催・推進協議会共催の「鎌倉文化を学ぶ会第 1回」が開かれました。元弘三年(1333)、北条一 門は菩提寺の東勝寺に追い詰められて滅亡します が、その劇的な歴史のドラマを語る講演と東勝寺 跡の見学が行われました。講師は同トラスト代表 で鶴見大学文化財学科教授の伊藤正義さんです。 東勝寺跡は小町3丁目の葛西ヶ谷全域に及びま す。滑川に架かる東勝寺橋を要として扇状に展開 する谷で、橋を渡って上り詰めた谷の奥が「腹切や ぐら」です。幕府が見渡せる景勝の地であったこと、 東勝寺が北条氏の政庁も兼ねていたらしいことな ど、発掘調査にたずさわった時の体験を交えての 伊藤さんの案内は具体的でわかりやすく、また、 通説とは異なる所見や歴史の秘話が織り込まれた 講演は実におもしろく、参加者を魅了しました。 以下は講演の要旨です。

○北条氏滅亡の要因
 鎌倉幕府滅亡の原因は一 般には北条氏の権勢の衰退に あると考えられているが、そうでは なく最後の半世紀が極盛期で あった。北条得宗家とその一門 に集中した権力と富に対する一 般の御家人の零落という状況下に起こった、富めるも のへの再配分要求が幕府滅亡の契機であった。
○足利・新田の鎌倉攻め
 鎌倉の防衛は蒙古襲来への備えを念頭に置いて西 側の防衛を重視していた。切通は軍勢の通り道である 尾根道を遮断する役割を持っており、防御の拠点とも なるが、鎌倉の北から西にかけての切通のうち、仮粧坂 と大仏坂は鎌倉の外側が緩やかで内側の方が急で、 防衛力が弱いため、北条勢はこの2か所と山之内に防 衛の主力を置き、西の極楽寺坂は内側・外側ともに急 峻であるため、その要害を頼りに主力を配置しなかった。 鎌倉の防衛計画を熟知していた足利・新田勢は極楽 寺坂・稲村ヶ崎には別働隊をつぎ込んだ。この攻防戦 で最大の激戦地は霊山・仏法寺付近であった。仏法 寺跡の東斜面の中腹に、関東大震災で滑落したが、 稲村路が通っていた。その古道を迂回して極楽寺坂 の内側に攻め込んだのではないかと考えられる。時に 元弘三年五月十八日のことであった。新田義貞が剣 を投じたという稲村ヶ崎干潟伝説は、この故事から生じ たものであろう。
○東勝寺炎上
 4日後の五月二十二日、東勝寺に追い詰められた 得宗家の北条高時以下の一族、近臣など総勢282 人が自刃、殉死者総勢872人余、自ら火をかけた東勝 寺の伽藍はことごとく炎上した。  『梅松論』には寄せ手の軍が在家(民家)に火を放ち、 四方の風が鎌倉に吹き込んで、残りなく焼き払われたと、 鎌倉全体が灰燼に帰したように記されているが、鎌倉 の代表的な寺社は焼かれなかった。それらが蒙古調 伏の重要な宗教装置だったからである。
○新田義貞の立場
 鎌倉攻めの総大将は、足利尊氏の 長男の幼い千寿王(義詮)である。軍 団が美しい少年を戴くのは、少年が神 の加護を受けるからで、古代からの信 仰でもあった。新田氏は足利氏と同じ 河内源氏で血脈の上では足利氏に 勝るとも劣らないが、鎌倉政権の中枢 部からは排除され、源氏将軍の正嫡と 認められていた足利氏の下風に立た ざるをえなかった。義貞は立場上千寿王麾下の諸将 の一人に過ぎず、したがって北条氏滅亡後の鎌倉の 支配権は千寿王にあって、義貞には渡らなかった。義 貞は一門をまとめて上洛するが、朝廷を頼る以外に義 貞の生きる道はなかった。
○その後の北条氏と東勝寺
 消失した東勝寺は、千寿王によって速やかに再建 され、9年後の1342年には関東十刹の五位に列する ほど栄えた。滅ぼした相手の供養は、権力の継承を 意味していた。それに対抗して後醍醐天皇は宝戒寺 の建立を命じている。  高時の生母である円成尼と、北条氏の遺族・寡婦 は伊豆の高時邸跡に配流。円成尼の銘文が鋳込ま れた東慶寺の梵鐘も伊豆に移された。敗者の鐘が鎌 倉に響いてはならないからであった。

 

『武家の古都  鎌倉塾』  平成22 年度春季講座’歴史遺産と生きる’第3回講演要旨
建長寺の歴史・伝統と生きる

講師:大西龍彦(りょうげん)さん
とき:平成22 年6月5日(土) ところ: 建長寺応真閣

◎坐禅
 鎌倉時代から伝わってきている禅というものが、なぜ 今まで続いているのか、なぜ広く武士に親しまれたの かということを考え、坐禅を体験して頂けるとありがたい。 坐禅には、体、呼吸、心、この3つを整えることが必要で ある。手の組み方のひとつに「叉手」(胸に右手をあ て、その上から左手を重ね合わせる)があるが、禅の修 行は座っている時だけに限らず、常に坐禅と同じ体、 呼吸、心で24時間365日を過ごさなければならない、と いう意味が叉手には込められている。
私たちの命の時間はどれだけ残っているのかは自身 では分からないもの。その命の時間をどれだけ一生懸 命また大事に使いきることができたのか、これを考えるの が臨済宗である。鎌倉の武士は明日生きていられるか どうか保証のない時代に生きており、臨済宗はそういう 点からも、時代に丁度合っていたのかもしれない。その ため、武士の心を惹きつけ、多くの方が集まられたの ではないだろうか。
◎建長寺の創建
 1253年に創建され、開基は北条時頼、開山は中国 からの渡来僧・蘭渓道隆である。三門をくぐり仏殿に 向う途中の両脇に柏槙という木があり、これは創建当 時からのものと言われているが、残念ながら建物として は当時のものはない。建長寺建立以前の臨済宗は坐 禅だけではなく、断食や念仏、滝行などの様々な修行 を混合していた禅宗であった(混合禅)。しかし蘭渓道 隆の入寺以降の禅宗は、純粋に坐禅だけによって悟り を開き、修行を行うという形が確立された(純粋禅)。建 長寺は日本最古の禅寺ではないものの、日本最古の 純粋禅の寺ということになるのかもしれない。
 建長寺の正式名称は「建長興国禅寺」である。延 暦寺もそうだが、国の年号を頂いた寺院は国内に幾つ かあるものの、数は多くない。国の許可なしで年号はつ けられず、当時は国との結び付きが非常に強かったこと が想像される。
 鎌倉時代、建長寺創建以前の土地は地獄谷と呼 ばれ、処刑場であった。仏教のもとの考え方というのは、 元来、人間の心というものは悪ではなく良いもの。全てを 救うという考えから、処刑されてしまった方々を御供養す るためにお地蔵様を祀り、今でも建長寺で一番大切に している仏様である。通常、ご本尊様は1箇寺に1体で あるが、建長寺の場合は、お地蔵様とお釈迦様がご本 尊として祀られている。
◎鎌倉幕府滅亡後以降
 幕府との結び付きが強く、鎌倉幕府滅亡後に力は 衰えたものの、宗教や心の支えとしてしっかりと根付いて いたため、建長寺での教えや禅というものが衰退し消 滅するというところまではいかなかったようである。  廃仏毀釈については、建長寺そのものには影響はな かったといわれている。寺院の裏山に半僧坊というお堂 があるが、これは明治時代に同じ臨済宗である静岡奥 山の方広寺より勧請されたもので、当時はお寺の復興 活動のシンボルという意味合いが大きかったようである。
 関東大震災による被害は大きく、ほとんど倒壊してし まったが、方丈以外の建物は復元されている。平成15 年の創建750年の際、鎌倉時代のままの質素な姿を 残すことを考慮すると共に、現状にあった形も同時に取 り入れながら建物や庭園などの手直しを行った。
 750年以上も前から、禅宗、坐禅というものが実際に 受け継がれており、これはまさしく伝統である。しかし必 ずしも修行道場に行かなくとも、その人がそこで得ようと 思えば、その場すべてが修行道場になる。「直心是道 場」という「求める心、素直な心、率直な心があれば、そ の場すべてが道場である」という禅宗の言葉もある。短 時間で禅というものを理解してもらうのは難しいが、坐 禅体験を通し、その中で感じたものを大事にして欲し い。今生きていることの有難さを心から感じられるのも 禅のよさであり、そういったものをこれからの時代だから こそ、残していかなければいけないと感じている。

 

めざせ!世界遺産登録

サムライ文化を世界へ広げたい!    義経と静の会

義経と静の会は2008 年6月に発足し、会員は全国 に約300 名。歌や笛、舞をまじえた講演コンサートや、 会員の研究論文等を掲載した機関誌の発行を通じて、 日本精神文化の確立と実践・普及により、地球の恒久 平和の実現に貢献したいとの願いで活動しています。 「義経・ジンギス汗」仮説の検証も行っています。
 2010 年2 月には、有志による世界遺産に関する連 絡会が結成され、定期的 な勉強会や情報交換をし ています。これまでに市の 世界遺産担当による『出 張講座』や、鎌倉市長と 意見交換する『市長カ フェ』を開催、さらに推進 協議会の事業部会と広報部会に参加しています。機 関誌では世界遺産特集を掲載しています。
 会長の山波さんは「『戦争は人の心の中で生まれ るものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かな ければならない。』というユネスコ憲章の実現ヒントは、 鎌倉から生まれたサムライ文化の中にあると考えます。 鎌倉を、世界の鎌倉としてユネスコの世界遺産へ登 録することで、『平和のとりで』を広げたい」と語って います。

 

鎌倉の普遍的価値を世界に    鎌倉地方自治研究センター

鎌倉地方自治研究センター(略称・自治研)は 1986 年に市民運動をしていた主婦、市や県の職員、 弁護士、建築家、教師、大学教授など市民の手によっ てつくられ、今日25年を経過しました。
 福祉、医療、環境、教育、文化、まちづくりなど 市民として生きることと行政との関係は切り離せないも のだから、まずは互いに学び会おうという趣旨でした。 自治研センターが取り上げたテーマの一つに鎌倉の 歴史遺産があり、数年にわたり歴史講座を開講しまし たが、毎回60 人以上の市民が参加するようになりま した。そのような時に市の方から、世界遺産登録をめ ざす市と市民の協働の組織である世界遺産登録推進 協議会参加の呼びかけがありました。参加後には、 他の市民団体と共同して「武家の古都・鎌倉塾実 行委員会」が発足しました。
 この塾では、鎌倉の歴史遺産の語り部を育てること をめざし、年2回の講座を開講しています。毎回定員を 超える申込みがあり好評です。  自治研究センター代表の柳下 実さんは「市民の力で、何としても 鎌倉を世界遺産にしたい。それに は、市民がまず鎌倉の歴史的な 価値を学ぶこと」と話していました。

 

「古都鎌倉の世界遺産登録』ってなに?
第17回 極楽寺はどんなお寺?

極楽寺は、鎌倉幕府第二代執権北 条義時の子重時により、正元元年(一 二五九)に創建されました。はじめ 浄土宗の寺院でしたが、奈良の西大 寺で戒律復興運動を進めた叡尊の弟 子である忍性が文永四年(一二六七) に寺に入って以降、西大寺流律宗の 東国での拠点となりました。
 忍性は、病人や弱者の救済事業と いった社会福祉事業に力を尽くしま した。また、道路や橋を造るなどの 土木工事も盛んに行い、極楽寺切通 の開削にも関わったと言われていま す。全盛期には、現在の極楽寺地区 のほぼ全域を境内とし、和賀江嶋や 由比浜一帯の管理も幕府から任され ていました。
 嘉元元年(一三〇三)に忍性が没 すると、墓塔として現在も境内にあ る五輪塔が建てられました(忍性塔、 毎年四月八日公開)。このように墓 塔を建てる習慣が武士や庶民にも広 がり、現代のお墓の形にもつながっ ています。
 室町時代以降の度重なる災害など により、寺域は徐々に小さくなりま したが、発掘調査により、地下には 中世以来の遺構が残っていることが 明らかになっています。
 極楽寺は鎌倉の西の交通の要所に ある北条氏の氏寺として、中世の文化 を現在に伝える貴重な遺産なのです。

 

Event! the 世界遺産

いざかまくらトラスト主催・鎌倉世界遺産登録推進協議会共催
鎌倉文化を学ぶ会 第2 回(講座と現地見学)
「国宝・鎌倉大仏造立の謎 〜建長四年、大仏鋳始〜」

鎌倉文化のコミュニケーターづくりをめざす講座の第2 回。現在の銅造の阿弥陀如来像は、以前は木造と考えられています。 何時、誰が、どのようにしてこの巨大な像を造ったのか?発掘調査で少しずつ明らかになった大仏鋳造の謎に迫ります。 講座のあと、境内の庭園・茶室と韓国の王宮から移築された観月堂を柵内で特別拝観の予定。
講師:内海恒雄さん(推進協議会広報部会長/いざかまくらトラスト副代表)

とき  平成23年3月26日(土)13:30〜16:30   集合場所  長谷・高徳院(大仏) 仁王門内(13 : 00 受付開始)
参加費  1000円(当日)   定員 100名(先着順・定員超過者のみ連絡します)  後援 鎌倉市 逗子市教育委員会
お申込  ハガキ、FA X 、Eメールで、ご住所・お名前・連絡先を明記して下記へお送りください。
(郵送先)  〒247 - 00 63 鎌倉市梶原1 - 17- 36/武永有里 ( FAX) 0 467 - 4 8 - 3 5 9 5(Eメール) kamatora08@yahoo.co.jp
お問合わせ/ 電話 0 4 6 7 - 4 4 - 3 8 6 3(越野恵子)

第53 回鎌倉まつり「鎌倉の世界遺産登録をめざして」
講演『世界文化遺産と鎌倉』と寺社特別拝観めぐり

今回のメインテーマも「鎌倉の世界遺産登録をめざして」です。今年も若宮大路のパレードに当推進協議会も参加します。 世界遺産候補地の特別拝観と講演会は当協議会主催行事です。多数の皆様のご参加をお待ちしています。
鎌倉まつり期間   平成23 年4月10日(日)〜 4 月17日(日)(鎌倉市観光協会主催)
プログラム
 (1) 10日(日)…………若宮大路パレード
 (2) 11日(月)〜15日(金)…世界遺産候補地の寺社特別拝観めぐり( 推進協議会主催)
         昨年は覚園寺千躰地蔵堂・瑞泉寺仏殿・建長寺三門・西来庵・禅居院・鶴岡八幡宮若宮など
          を特別拝観しました。今年も同規模の特別拝観を寺社にお願いして実施する予定です。
 (3) 16日(土)………… 14 時〜16 時「もっと知ろう、世界遺産」( 推進協議会主催)
          『世界文化遺産と鎌倉』講師:稲葉信子さん(筑波大学大学院世界文化遺産学専攻教授)
          ところ/鎌倉商工会議所地下ホール  定員/15 0 名(先着順) 参加費/無料
※今年度「世界遺産登録に向けての中学生作文コンクール」受賞者の朗読と、県立鎌倉高校の生徒による「かまくら学」研究発表も予定しています。
お問合わせ/上記のプログラムの詳細は、下記事務局へ。
その他、鎌倉まつりの全般的なことは、鎌倉市観光協会( 電話 0467 - 23 - 3050)まで。

編集後記  

県知事と鎌倉市長は、鎌 倉の世界遺産登録が、本年 度は国からユネスコへの申 請が見送りとなったことに ついて、文部科学大臣と文 化庁長官に、早期の登録の 実現を要請しました。そし て推薦書の作成については、 平成二十二年度中に仕上げ ていくことをめざして、文 化庁と協働して取り組んで いくことになりました。
 しかし文化庁の本中眞さ んが指摘されるように、国 際会議を経て、鎌倉の価値 をアジア史の観点から見直 したり、山と寺社と一体と なっている環境をどう保存 していくかなど、まだまだ 課題はあります。
 相次いで行われたシンポ ジウムなどでも、世界の中 の鎌倉の価値をどう評価し て世界に発信するかという ことが、問われていました。 私たちも鎌倉の文化遺産の 価値を改めて国際的視野か ら見つめ直し、後世に伝える 責任を自覚したいものです。

広報部会長 内海恒雄

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