鎌倉世界遺産登録推進協議会
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武家の古都・鎌倉ニュース第21号

 

「武家の古都・鎌倉」世界遺産推薦へ

平成4 年にユネスコ世界文化遺産暫定リストに記 載されてから19 年、いよいよ「武家の古都・鎌倉」 がユネスコへ推薦されることが決まりました。
推薦までの経過
世界遺産登録に向け国がユネスコに提出する推薦 書の作成を、国と4県市(神奈川県・横浜市・鎌倉市・ 逗子市)が協働で進めてきました。また、推薦書に国 際的な見地からの意見を反映させるため、海外から専 門家を招いて国際専門家会議を計4 回開催しました。  こうした経過を経て、平成23 年9 月には、世界遺産 条約関係省庁連絡会議において「武家の古都・鎌倉」 が世界文化遺産としてユネスコへ推薦されることが 決定し、同月末に推薦書の暫定版が提出されました。
鎌倉の世界遺産としての価値
推薦書では、「武家の古都・鎌倉」の世界遺産と しての価値が、主に次の2 点にまとめられています。
● 12 世紀末、戦士である武家が自ら政権を樹立し、 貴族が支配する古代社会から、武家が支配する中世・ 近世へと続く大きな変革をもたらしました。「武家の 古都・鎌倉」は、武家が新たにつくりだした政治支配 体制の中から、独自の「武家文化」が生み出された ことを示しています。
● 武家は、要害的地形をなす山稜の崖地や谷戸を切 り崩して造成した場所に、寺院や武家屋敷を機能的 に配置し、政権支配と防御の強化を図りました。古代 から中世への時代の大きな転換期につくられた、山 稜部と一体となった政権所在の形態が「武家の古都・ 鎌倉」です。
資産の範囲について
世界遺産の候補となる資産は、武家により樹立され、 構築された政権の所在地及びその政治支配体制の 中から武家文化が創出されたことを示す21件の社寺 境内や考古学的遺跡と、これらと一体となった要害 的地形(山稜部)により構成されます。
 21 件の社寺境内や考古学的遺跡は、文化財保護法 に基づき指定された「国指定史跡」です。また、要害 的地形を示す山稜部は、「古都における歴史的風土 の保存に関する特別措置法(古都保存法)」の「歴史 的風土特別保存地区」に指定されている範囲です。
 また、遺産を保護するために周囲に設けられる緩 衝地帯は、現行の法規制等を最大限活用しており、 世界遺産に登録されても、新たな法規制は生じません。
今後の予定
 来年1月には、推薦書の正式版がユネスコへ提出 される予定です。手続きが順調に進んだ場合、平成 24 年の夏頃にユネスコの諮問機関であるイコモス( 国 際記念物遺跡会議)による現地調査が行われます。平 成2 5 年5月頃にはイコモスから評価結果が勧告され、 夏頃開かれるユネスコ世界遺産委員会で登録の可否 が決定することとなります。
 鎌倉世界遺産登録推進協議会では、引き続き、登録 に向けた啓発活動などに取り組んでいきます。

 

世界遺産講演会  講演要旨(後半)

五味文彦さん講演「鎌倉の武家文化」

平成23 年6 月12日、鎌倉世界遺産登録推進協議会 主催・いざかまくらトラスト共催による世界遺産講 演会が、きらら鎌倉(鎌倉生涯学習センター)ホール で開かれ、日本中世史の第一人者である五味文彦東 京大学名誉教授にお話を伺いました。前号に続き、 講演要旨後半をご紹介します。

 武家文化形成の4 つの段階( 続き)
 源頼義、義家が鎌倉を拠点とした11世紀後半に始 まり、頼朝が武家政権と武家文化の基礎を築いた第 一段階を経て、第二の段階は京都文化の積極的摂 取による成長である。承久の乱後、北条泰時は京都に 進駐し京都の文化を徹底的に吸収する。一方では頼 朝が行った撫民政策を継承し徳政を行う。さらに承久 の乱による自信に裏付けられて、律令に学び武家による 政治や裁判の基準である御成敗式目(貞永式目)を 定めた。定めるにあたって、評定衆や御家人等に、仏 教の守護神、鶴岡八幡宮の八幡神、荏柄天神の天 満天神等に対して、政治や裁判を式目に基づいて公 平に行うことを誓わせた。武家政権の内部規律、倫理、 公平性を訴えることにより、武士という武力を持つ存在 が政治を担う方向性をより明確に打ち出した。それに基 づいて、鎌倉幕府は武力で事を解決するのではなく、武 力を貯めて、より理非を重んじた政治を行うようになる。こ こに武家政治の根幹が成立した。
 それとともに、鎌倉の都市整備も行われるようになり、 鎌倉の内と外を結ぶ切通の巨福呂坂、朝夷奈坂が整 備され、海辺に突堤が造られ和賀江嶋ができて、海上 交通も整備された。自然の要害であった鎌倉は、泰時 の時代から開放的な場に移ってくる。
 民衆の要望を取り入れていくうえで重要なのが大仏 の造営で、これにあたったのは民衆に喜捨を求めた勧 進上人浄光だが、幕府はそれを援助して大仏の造営 にあたった。これに伴い京都で信仰を拡げていた浄土 宗が鎌倉に入ってくるなど、今度は人々が鎌倉をめざす ようになる。インドを起点として徐々に東に向かう仏教の 流れの最終地点が鎌倉となり、あらゆる宗教者は鎌倉 をめざした。そのなかで武家は単なる武力集団でなく政 治的訓練を積んで成長し、その成果は称名寺の金沢 文庫の典籍に収められ、幕府の歴史書『吾妻鏡』の編 纂も行われた。
 第三段階は朝廷を凌駕し、新たな権力、新たな政 治の動向をめざすという動きになる。そこには大陸の文 化が重要な役割を果たす。ひとつは建長興国禅寺、国 を興す禅寺の建立である。禅宗は修行によって悟りを 得、経典やその注釈を学ぶ。それが武士の精神修養に なり魅力的だった。また宋代の禅は公案禅などを工夫し たこともあって、国家構想を考える武士に受け入れられ る仏教になっていた。時頼の招きで渡ってきた禅僧は国 家護持の思いが強く、その影響もあって時頼の死後に 若くして政治指導者となった子の時宗は、モンゴルの襲 来に強硬に対応し、二度にわたるモンゴル襲来を広く 御家人を動員して凌いだ。時宗は合戦で亡くなった 人々の霊を慰めるため、建長寺に次ぐ禅宗寺院として 円覚寺を建立し、宋から招いた無学祖元を開山とした。
 第四の段階は、日本独自の武家文化の醸成である。 次に執権を継いだ貞時は禅宗について深い理解を持 つようになる。五山の制度もこの頃という説もあるように手 厚く禅宗を保護した。大挙して禅僧が中国にわたると同 時に、夢窓疎石のように、独自の日本的な禅をめざす者 も出てくる。禅宗だけでなく大陸文化が日本社会に入り 込んで、従来の文化に融合しながら日本的な文化、武 家文化という形で成長する。禅寺も、鎌倉では谷戸にあ り、山林の彼方ではなく、都市の近くの静寂な環境の中 で、精神を鍛え、悟りを得ることを課題とするような武家 文化が生み出されていった。
 鎌倉幕府が成立したのは1180年、大体50年で武 家文化の基礎が固まる。それから100年かけて武家文 化、武家政治が様々な訓練を積みながら成長してき た。鎌倉で成長した武家文化は、京都や各地に大き な影響をあたえ、庭園や建築、芸能など各方面で発 展し、今日につながる日本の伝統文化を形成するに 至っている。
 鎌倉は世界遺産登録のための体制づくりを
 鎌倉が世界遺産になるための課題はたくさん残って いる。ひとつは文化財行政の体制が重要だ。それを進 めるのは市民の守ろうとする意思である。鎌倉の重要な 世界遺産の核になる山をもっと大事にしなければならな い。もし震災が起きたとしても、山は我々を救ってくれるわ けだ。しかしながら山林の乱開発は未だに終わっていな い。世界遺産は「より良い住環境をつくる」ということであ ると、鎌倉は世界に宣言する。原点に立ち返って市民の 森であり山であるという基本をしっかり守っていく。行政も そのための体制を建てる、という備えをしてほしい。

 

『武家の古都  鎌倉塾』  平成23 年度第1回講演要旨

世界から見る『武家の古都・鎌倉』
講師:岡田保良さん(国士舘大学イラク古代文化研究所所長 イコモス委員)
とき:平成23 年9 月24日(土) ところ: 鎌倉芸術館

◎暫定リストとしての「鎌倉」
 来年は世界遺産条約が採択されて40周年にあた り、その記念行事が日本で開催される予定。多数の来 日が予想されるユネスコ関係・イコモス関係の主要な人 たちに対して、鎌倉でも広く受け入れ態勢を整え、歴史 的な遺産を紹介してほしいと思う。
 世界遺産には文化・自然・複合の遺産があるが、そ れぞれ725件、183件、28件で、合計936件という数に のぼる。まもなく1000という大台にのり、歴史的な曲が り角になるのではないかともいわれている。
 1992年に日本が世界遺産条約に加盟し、法隆寺 や姫路城と並んで鎌倉が名乗りを上げて以来20年近 くになるが、その間今年の平泉まで16件の登録がありな がら、なかなか鎌倉にその順番が回ってこなかった。 2006年ころから鎌倉を世界文化遺産にという気運が 高まった背景には、暫定リストに載せる候補が減少した ことから、文化庁が全国に募集をかけたことによって、全 国の自治体から世界遺産候補が一挙に40件くらい挙 がってくるという状況があったからだと思われる。その後 文化庁に候補を審議する特別委員会が置かれ、昨年 までに富士山や富岡製糸工場、長崎の教会群などが 新たに暫定リストに加えられた。
 鎌倉に関しては、一昨年から今年にかけて催された 国際シンポジウムなどによって新たな視点が得られ、そ れを参考にしながら4県市による推薦書の原案がほぼ 固まった。
◎推薦書案の内容に関して
 世界遺産には「顕著な普遍的価値」(OUV)が必 要で、それには10項目の評価基準が定められているが、 鎌倉の普遍的な価値は、鎌倉が古代貴族政権に替 わって全国支配の体制を樹立して中世という時代を 開いた武家政権の始発の地であり、寺社や庭園跡あ るいは港などの、武家政権や文化の構成要素が周囲 の山陵部と一体となって今日に伝えていることである。特 に山陵部を巧みに切り開いて伽藍を配置する寺院や 地方とつなげるために切通を開くという都市の構えには 京都とも奈良とも異なる独自の歴史的価値がある。これ は、評価基準の(iii)と(iv)に当たる。
 ここで注目すべきは、鎌倉の遺産候補の保全に関わ ることである。従来日本が推薦する世界文化遺産は、ほ ぼ文化財保護法による重要文化財あるいは史跡に 指定したものであった。つまり文化庁が所轄する保護 法によって日本国がその価値を保存し担保するという 趣旨でユネスコに申請してきた。鎌倉の山陵部は文化 財保護法による史跡ではないが、古都保存法の第六 条『歴史的風土特別保存地区』がほぼ候補地全面 にかけられており、環境の保全・維持が保証されている。 従来の登録事例とは違って文化財保護法のみに頼ら ず、世界遺産に申請することに鎌倉の特色がある。
◎登録へのプロセス
 世界遺産に登録するには前もってユネスコの暫定リ ストに届けなければならない。鎌倉はほぼ20年前に提 出されている。届出についで推薦書の作成になるが、従 来文化庁主導で文書が作られていたものが、2006年 暫定リストを公募してから、自治体が作成に当たるように なった。文化庁は推薦書の完成度を判断して、富士 山と鎌倉を来年度の推薦に決定した。9月中に暫定推 薦書をユネスコに提出し、来年2月1日までに正式な推 薦書を提出するという運びとなる。続いて現地審査があ り、来年11月末から12月にかけての頃、様々な情報がイ コモスのパネルと呼ばれるテーブルに持ち寄られ、ユネス コに対する勧告案ができる。その勧告案が再来年の5 月頃にユネスコに伝達され、あるいは世界中に公表さ れる。そして7月くらいの世界遺産委員会で結論がでる ことになる。
◎世界遺産の意義
 世界遺産はその国の歴史・風土や文化的背景をあ らわすものでありたい。世界遺産は世代交代などによる 歴史や遺産に対する価値観の風化を防ぎ、また歴史 や国の誇りにつながり、国際感覚を醸成する契機となる。 登録は終着駅ではなく新たな出発である。遺産の価値 を損なわないための環境の維持に市民は国や自治体 と協力しながら努めていただきたい。

 

News! the 世界遺産

バンダリン前世界遺産センター長が来日会見。富士山に「私的訪問」

2 011 年春まで1 0 年間にわたってユネスコの世界 遺産センター長をされ、事務局長補(文化担当)にな られたフランチェスコ・バンダリンさんが7月に来日 され、日本記者クラブ(東京・日比谷)で記者会見を 行いました。センター長として30 0 件に及ぶ登録にか かわってこられた世界遺産のエキスパートならでは の中身の濃い会見でした。鎌倉世界遺産登録推進協 議会からは2人が会見に参加し、お話を伺いました。
 バンダリンさんは「無形遺産など(ユネスコの)文 化的な活動に広くかかわっている日本政府と協議の ためにやってきた」と来日の目的に触れ、「二つの 重要な訪問」として鎌倉と並んで次の登録地として 最有力視されている富士山と新規登録されたばかり の平泉を訪れる意向を明らかにしました。
 また「審査を受けてから最終的な決定を見るまで は、かなり長いプロセスとなる。3 〜 4 年かそれ以上 かかる場合もある。とくに遺跡に関しては1〜2 年たっ てから再度審査ということになっている」として世界 遺産リストに暫定登録されている地域にとっては、 重要な指摘もありました。
 今回の訪問の重要課題の一つ来年11月の日本での 世界遺産条約制定40 周年記念式典については、条約 の下で遺産・遺跡の保存とともに経済の発展を心が けていきたいとして、テーマを「世界遺産と持続可 能な開発およびローカルなコミュニティーの果たす 役割」とすることになったと述べました。
 作曲家・シンガーソング・ライターの城之内ミサさ んも会見に同席されました。城之内さんは先月末パ リで開催された世界遺産委員会の会場でコンサート を開くなどユネスコ平和芸術家として活躍、東日本 大震災では東北地方の復興をテーマにキャンペーン を展開しています。バンダリンさんは音楽という新 しいメディアを通しての世界遺産の広報活動につい て抱負を語っておられました。
 会見後の質疑応答で「富士山に行かれてなぜ鎌倉 には来られないのか。同じ武家社会を背景とする平 泉の後だけに鎌倉の登録には影響がないのか」との 質問に、「三日間の滞在なので、時間がなかった。 鎌倉に限らず行ってみたいところはいろいろある。 鎌倉と平泉については背景に共通性があるというこ とで問題になるとは思わない。一番重要な判断の要 素は顕著な普遍的価値があるかどうかということだ」 と答えていました。

 

鎌倉市展世界遺産部門が開催されました

平成23 年9月24日から10 月4 日まで、鎌倉芸 術館ギャラリーにおいて市民文化祭の鎌倉市展 世界遺産部門(美術展・写真展)が開催されました。
 今年で4 回目となる今回は、絵画16 点、写真 34 点の応募がありました。審査の結果、大仏切通、 和賀江嶋や覚園寺の百八やぐらをモチーフにした 絵画3 点と、建長寺、円覚寺や称名寺を モチーフにした写真4 点が優秀作品と して選ばれました。
 最終日の10 月4 日に、一般部門と合 同で表彰式が行われ、推進協議会会長 でもある松尾崇市長より、入賞者へ表 彰状と副賞が授与されました。

 

めざせ!世界遺産登録

北鎌倉の景観と賑わいを次代へ    北鎌倉まちづくり協議会

平 成 10 年 、 鎌 倉 市 の まちづくりコンサルタント3 名が中心になって山ノ内 にまちづくり組織を立ち上 げました。今や北鎌倉の 顔となった「匠の市」「匠展」を主催、“市”は年2 回 春秋に円覚寺・東慶寺・浄智寺の門前で、“ 展”は年 1回秋に山ノ内公会堂で、合計65 名程の作家が自作 を展示し、“市” の方では即売も行います。
 まちづくり活動としては、JR側と街道沿いに景観を形 成する大木8 本や白モクレンを残すよう「マンション計 画」に働きかけ、「景観地区」策定後には鎌倉街道 沿いの線路側と円覚寺・明月院踏切間の建物高さを 一律12m以下にするよう働きかけました。「北鎌倉・洞 門山開発問題」では1ヶ月に21000 人の署名を集め る等保全運動を展開し、全面保全に漕ぎ着けました。
 昨年12月の世界遺産連続シンポジウム「北鎌倉の 文化資産と周辺のまちづくり」では代表の坂田さん等 が参加して、寺院群と街・山並が調和して在る北鎌倉 に住む人たちの環境に対する信念・熱意がまちの景 観を守ってきたお話をして頂きました。

 

世界遺産登録と玉縄城500 年祭    玉縄自治町内会連合会

玉縄地域は、平成 24年11月に地域が 一体となり、鎌倉市 と協働して「玉縄城 築城500 年祭」を 実施します。500年 祭の実行委員長は 連合会の田中八 郎会長です。
 残念ながら、玉縄地域には玉縄城址も含めて世界 遺産登録候補は何もありませんが、実は玉縄と鎌倉 の世界遺産登録とは極めて深い繋がりがあります。
 1512 年に北条早雲が築城後、約100 年間に亘っ て玉縄城を本拠とした玉縄北条氏が、玉縄衆を指揮 して戦火で焼失した鶴岡八幡宮を再興し、いにしえの 「武家の古都・鎌倉」を守護したことは、ほとんどの鎌 倉市民に知られていない史実です。
 11月12 日(土)には玉縄小学校で第18 回「玉 縄まつり」が開催されます。鎌倉世界遺産登録推進 協議会もブースを設けてPRに努めます。玉縄自治町 内会連合会も応援します。

 

「古都鎌倉の世界遺産登録』ってなに?
第20回 永福寺跡はどんな遺跡?

永福寺跡は、奥州藤原氏との戦 いで亡くなった人々の怨霊を鎮(しず)め るために源頼朝が建てた寺院の遺 跡です。頼朝が奥州合戦の際に、 平泉で見た寺院の威容に感銘を受 け、これにならって建立したとい われています。『吾妻鏡』には永福 寺の工事の様子が詳しく書かれて おり、頼朝がしばしば視察に訪れ たこと、その頼朝の命を狙う暗殺 者が土石を運ぶ労働者の中に紛れ 込んでいたことなど、興味深いエ ピソードを知ることができます。
 中心となる堂は、平泉中尊寺の 二階大堂(大長寿院)に倣(なら)った二 階建ての建物であったため、「二階 堂」と呼ばれました。このため付 近一帯の地名も「二階堂」となり、 現在に至っています。二階堂の左 右には阿弥陀堂・薬師堂が建ち、 その前には池を中心とした壮大な 浄土庭園が広がっていました。
 頼朝以降も代々の将軍が訪れて、 法要や和歌会などが催され繁栄し ましたが、たびたび火災に遭い、応 永十二年(一四〇五)の火災の後は 再建されないまま廃絶してしまっ たようです。しかし、近年の数度 の発掘調査によって、遺構や遺物 が地下に良好な状態で保存されて いたことが分かり、往時の繁栄ぶ りがあらためて確認されています。

 

Event! the 世界遺産

鎌倉世界遺産登録推進協議会主催 講演会 もっと知ろう、世界遺産 第4 弾
稲葉信子さん講演『世界文化遺産と鎌倉』

これまで世界遺産条約をはじめとする文化遺産の国際協力に広く携わってこられた稲葉さんに、「武家の古都・ 鎌倉」の魅力について、世界の文化遺産との比較など、世界遺産登録における視点からお話をいただきます。
講師 稲葉信子さん(筑波大学大学院世界遺産専攻教授)
◎当日は平成22 年度「世界遺産登録に向けての中学生作文コンクール」受賞者の朗読や、鎌倉高校の生徒  による 「かまくら学」の研究成果の発表も行います。
とき 平成23年11月13日(日)14 時〜16 時3 0 分(13 時3 0 分開場)    ところ 鎌倉商工会議所 地下ホール    
参加費 無料   定員 130 名(先着順)    
共催 (公財)鎌倉風致保存会  鎌倉の世界遺産登録をめざす市民の会 (社)鎌倉市観光協会
申込方法 住所・氏名・電話番号・メールアドレスを明記、はがき・FAX・Eメールで下記の推進協議会事務局 「もっと知ろう、世界遺産 係」へ。

鎌倉世界遺産登録推進協議会 主催  鎌倉の世界遺産登録をめざす市民の会 共催
ワークショップ   住んでよく、訪れてよい鎌倉のまちづくり

世界遺産登録を見据えた「歴史を活かすまちづくり」について、ゲストを交え皆さんで語り合いましょう。交通の 課題(Aテーブル)、情報センター(Bテーブル)、まちの姿(Cテーブル)などについて話し合い、テーブル ごとの意見をまとめていきます。
ゲスト(予定):松尾崇(鎌倉市長)、高井正俊(建長寺宗務総長)、牧田知江子(井上蒲鉾店社長)の3氏
とき 平成23年11月27日(日)13 時30 分〜17 時    ところ 鎌倉市役所第3分庁舎 講堂    
参加費 無料   定員 50 名(先着順/ 定員になり次第締め切り)
申込方法 住所・氏名・性別・電話番号・メールアドレス・参加希望テーブル(第二希望も)を書いて、ハガキ、FAX、 Eメールで下記の推進協議会事務局「ワークショップ 係」へ。 
申込締切  11 月18日(金)必着

 

編集後記  

九月には「 武家の古都・鎌 倉」の世界文化遺産の推薦書 (暫定版)が、日本からユネス コに提出されました。推薦 書では、「武家の古都・鎌倉」 の価値について日本の武家政 権発足の地で、その政治支配 体制の中から「 武家文化」を 生み出した証拠とし、山稜部 と一体となった稀に見る政権 所在地の類型としています。
 資産の保護措置には従来 の文化財保護法の国史跡等 に加えて、古都保存法によ り護られている山稜部を取 り入れています。構成資産 は山稜部を含めた十の地域 に分けられ、寺社や遺跡な どの重要な要素から成り立 つという画期的なものです。 今後の予定としては、推薦 書(正式版)提出から現地 調査や勧告を経て、平成二 十五年度に登録の可能性が 出てきました。
 いよいよ鎌倉の世界遺産 登録も実現に向けて動き出 しました。しかしまだ課題 もあり、登録後も見据えた 推進協議会の活動をさらに 進めていきたいものです。
広報部会長 内海恒雄

●鎌倉世界遺産登録インフォメーション&放送スケジュール

インターネット
●鎌倉世界遺産登録推進協議会HP
 http: // www. shonan-it.org/KWH-kyogikai/
FMラジオ
鎌倉FM(82.8MHz)…… 毎週日曜12 : 0 0 〜 1 2 : 3 0
 「湘南鎌倉いまむかし」番組後半「鎌倉世界遺産への道」
ケーブルテレビ
●JCN 鎌倉…… 毎週木曜 17 : 10 〜(当日再放送あり)
 7 Days デイリー『一問一答!鎌倉検定の道』

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