鎌倉世界遺産登録推進協議会
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「鎌倉世界遺産登録推進に向けての
中学生作文コンクール」 入賞作品集の発行にあたって

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鎌倉市青少年指導員連絡協議会
鎌倉世界遺産登録推進協議会


目 次

「第2回鎌倉世界遺産登録推進に向けての中学生作文コンクール」 入賞作品集発行にあたって 

 題1「鎌倉の世界遺産登録について思うこと」
最優秀賞 加藤 万理子  
優秀賞 大道 拓馬  
優秀賞 三上 栞花  
優秀賞 海老名 郁香  
佳 作 飯田 美紅  
佳 作 井上 亮太  
佳 作 江口 由里子  
佳 作 小野田 亮  
佳 作 小柳 雄太郎  
佳 作 斉藤 優  
佳 作 坂本 悠介  
佳 作 平瀬 栞理  
佳 作 野津 みづほ  
佳 作 本多 忠敬  

 第2「鎌倉と私」
最優秀賞 増井 友美  
優秀賞 正岡 蒼  
優秀賞 山本 あづる  
優秀賞 諸星 佑香  
佳 作 磯部 蘭  
佳 作 岡本 彩  
佳 作 勝田 早紀  
佳 作 金井 梨紗  
佳 作 重田 実麗  
入賞者表彰式・発表会      
応募者概要     


「鎌倉の世界遺産登録について思うこと」

鎌倉市立深沢中学校 二年 加藤 万理子
私は生まれた時からずっと鎌倉に住んでいます。鎌倉は1192年に源頼朝が幕府を開きました。いわば、日本で初めて武士がつくった都市であり、今でもその面影が残されています。
 私は、鎌倉が世界遺産登録に向けて頑張っていることを知り、とてもうれしく思いました。鎌倉の寺や神社などの建造物は学校の歴史の授業でやった内容と関係するものばかりで驚いたし、そんなところに住んでいることに誇りを感じています。 世界遺産に登録されることで、今の歴史ある鎌倉がずっと守られるだろうし、もっと鎌倉を世界に広めたり、後世に伝えたりすることができるのではないかと思います。 だから鎌倉に住んでいる一員として、世界遺産登録に協力したい!そんな気持ちが強くなりました。
 世界遺産登録に向けた活動は、私たち中学生ばかりではなく、大人の人たちも、まちの人みんなで取り組み、鎌倉に観光で来ている人たちに、鎌倉の良さをどんどんアピールしていくことが重要だと思います。
 また富士山も世界遺産登録を目指しているけれど、ゴミが多いことが登録の障害になっているということを聞きました。だから鎌倉も世界遺産に登録をするには、 まずまちをきれいにすることや、昔からの歴史ある祭りや行事などを守っていくことが必要だと思います。そのためには、私たちも、鎌倉の歴史を勉強していくことが大事だと思います。 また私たちがすぐにでも始められることは、ゴミ拾いをして、まちをきれいにすることです。小さなことだけど、ひとりひとりが意識してやっていけば、とても大きなことになるはずです。 ゴミ拾いをすることだけでなく、ポイ捨てをしないように呼びかけていくことも大切です。
 私は大人になっても、ずっとこの鎌倉に住み続けていきたいと思っています。そしていつか、世界遺産登録に向けて活動がどんどん大きくなり、 鎌倉市民が、つぎに鎌倉に観光に来る人たちが、そして最終的には日本中のみんなで応援してもらえるようになれば、きっと世界中の人たちが鎌倉を認めてくれると信じています。 そして、もっともっと日本中、世界中の人たちが鎌倉に足を運んでくれたらうれしいなと思います。
 日本の文化や歴史を伝える鎌倉の素晴らしさは、中学生の私には、まだ知り足りない部分が多いかもしれません。しかし、この鎌倉は知っても知っても、 まだまだ魅力のあるまちだと思っているので、ゆっくりと鎌倉の寺や神社、自然や人々のあたたかさなど、知っていけたらと思います。そして私がおばあちゃんになっても、何十年後も何百年後もずっと、この歴史ある鎌倉が守られていってほしいです。

「鎌倉の世界遺産登録について思うこと」

鎌倉市立玉縄中学校 三年 大道 拓馬
私は、鎌倉を世界遺産に登録することは良いことだと考える。鎌倉には、円覚寺や建長寺などの歴史ある寺院が多くある。また、高徳院の大仏、鶴岡八幡宮があり、周囲の山には「切通」が残っている。 それらには「歴史的価値」があるといえる。さらに、鎌倉時代には、源頼朝によって鎌倉幕府が開かれ、長い間、日本の武家政治の基礎となる「武家社会が創られた地」である。 同じ時代には、禅宗などの仏教、運慶・快慶の金剛力士像のような武士の心にかなった「力強い文化が生まれた地」でもある。このように、鎌倉には「独自の優れた文化」が多く存在している。
 けれども、今、その文化はそれほど多くの地域には知れ渡っておらず、知らない人は鎌倉の文化の良さに気づけない。このままでは、もったいないので、気がつくようにしたいのである。
 だから、鎌倉を世界遺産に登録し、この文化を「世界の宝」として保存し、後世に残すと同時に、世界にこの文化を知ってもらうことが重要である。 しかし、今の鎌倉では「都市」として世界遺産に登録するには、課題が多く、困難だと考えられる。
 課題の例の一つ目として、鎌倉は交通がきちんと整備されていないことが上げられる。もし、鎌倉が世界遺産になったとして、海外や他の地域の人々が興味を持ち、 観光に来た場合、幅の狭い歩道が多い鎌倉では車道を走っている車と観光客がぶつかったるすり危険が伴うだろう。つまり、今の鎌倉は「受け入れ態勢」が整っていないのである。
 二つ目の課題は、鎌倉の辺り一帯の町並みにある。まず、鎌倉の町並みは「歴史的遺産」との統一感がほとんど感じられない。これでは「優れた文化」とその周囲にあるものが完全に分離した状態となり、 まちが「歴史的遺産」を引き立てることができていない。
 そして最大の課題は、鎌倉市の財政力の弱さである。財政力をつけなければこれらの課題に対処することは難しい。
 しかし、何とかして財政を立て直し、歩道を拡張して、歩行者が安心してゆったりと歩けるようにし、「歴史的遺産」を引き立てるように建物の統一感を出すなどによって、 課題を解決できれば「都市」としての世界遺産登録が可能になるだろう。
 鎌倉には、「歴史的遺産」から学ぶべきことがたくさんある。「武家の古都・鎌倉」から生まれた武家政治もその内の一つである。明治維新が起こるまでの約670年間の日本の政治や社会に影響を及ぼしたことから、 今の政治に何か生かすことはできないか、などを研究することもできる。他にも、「独自の優れた文化」から学び、現代に生かせることが鎌倉には山ほどある。そんな「古都・鎌倉」は「温故知新の都市」ともいえるのではないだろうか。

「鎌倉の世界遺産登録について思うこと」  スタート地点に立つ

鎌倉女学院中学校 二年 三上 栞花
鎌倉はかって源頼朝が開いた幕府が置かれた地であり、また湘南地方を代表する観光地でもある。緑が豊かで、いつでも大勢の人でにぎわう歴史と活気あるまち、鎌倉。 私が毎日通学しているこのまちには、他のまちにはない独特の雰囲気が感じられる。鎌倉大仏、鶴岡八幡宮、若宮大路などの多くの史跡があり、歴史的に貴重なまちであるとともに、 親しみやすいまちでもある。多くの人が鎌倉を訪れ、常ににぎやかな鎌倉は、これからもたくさんの人を魅了し続けていくであろう。
 そんな鎌倉の世界遺産登録は、実現すればとても素晴らしいことだと思う。鎌倉のまちが世界遺産となれば、世界にその名が知れ渡り、たくさんの人が鎌倉のよいところを改めて知ることができるだろう。 私も、日本人として誇りに思うことができる。鎌倉の世界遺産登録は、鎌倉のまちにとっても、鎌倉を訪れる人にとっても、とてもよいことで、ぜひ実現してほしいと心から思う。
 しかし、登録されただけで満足してはいけない。登録して終わり、ではなんの意味をもたないのだ。問題はその後の人々の意識である。今後鎌倉をどういうまちにしていくか、そのためにはどういうことをしていくべきか、 そのことをみんなで考え、協力し合い、実行に移せたときに、初めて鎌倉というまちにとって世界遺産登録がプラスになるのではないか。そのために登録するのではないかと思う。
 世界遺産登録は、鎌倉をもっと良いまちにしていくためのスタート地点に過ぎない。そのスタート地点にたつためにも、ぜひ、もっと多くの人に鎌倉の良さを知ってほしいと思う。 毎日鎌倉に通っている私も、まだまだ知らないことがたくさんある。目で見て、耳で聞いて、心で感じられるところが鎌倉にはたくさんある。世界遺産登録は、すごくスケールの大きいことだが、 鎌倉を愛するたくさんの人が協力して、実現していくもので、人一人が簡単にできるようなことではない。私もその一員となれるように、もっと鎌倉のことについて知っていきたい。教わるだけでなく、自ら進んで知識を深めていける人になりたい。  そして、そう遠くない未来に、鎌倉が世界遺産として世界中の人に認められ、さらに、そこからたくさんの人々の協力によって、世界遺産にふさわしい素敵なまちへと発展していって欲しいと思う。

「鎌倉の世界遺産登録について思うこと」

鎌倉女学院中学校 二年 海老名 郁香
私は普段、通学するとき、鎌倉駅から若宮大路を通り、学校へ向かいます。私は毎日の通学の中で、一つ気づいた事があります。それは、私の住んでいる町とは違い、若宮大路には、ゴミが一つもないということです。 ゴミステーションに積み上げれたゴミも、道端によく捨てられているタバコの吸い殻も、まったく見当たりませんでした。私は、鎌倉は観光地で、観光客の出すゴミが多いだろうと予想していたので、戸とても意外で驚きました。 若宮大路は歩道が広く、何よりゴミがないので、毎日とても登校しやすいのですが、なぜこんなにも清潔に保っていられるのか、私は不思議でたまりませんでした。そして、ある土曜日、部活動で学校へ行った時、その理由がようやくわかりました。 私が普段の様に若宮大路を歩いていると、大きな袋を持ち、清掃活動を行っているボランティアの方を見かけたのです。まさか若宮大路で、ボランティア活動が行われているとは、思ってもいませんでした。
 私はその活動を見るまで、鎌倉は神社や寺院が多いので、神主さんやお坊さんが鎌倉を支えてくださっているのだと思っていました。しかし、私の考えとは全く違い、 鎌倉は、たくさんの、鎌倉を守ろうとする方々によって成っていることがわかりました。
 私の祖父は、昔、鎌倉に住んでいました。道路等が整備され、昔の鎌倉とは少し変化しているそうですが、祖父は今も鎌倉が懐しいようで、様々な話を聞かせてくれます。 その話の中で、祖父はいつも、鶴岡八幡宮の事を「八幡様」と呼びます。鶴岡八幡宮を「八幡」と略し、最後に「様」をつけます。おそらく、鎌倉や鶴岡八幡宮を築いた頼朝公に、尊敬や感謝の意をこめて、「様」をつけているのだと思います。
 武士道という文化は日本だけにしかない文化です。鎌倉は、その中でも、日本で最初の武家政権が築かれた貴重な場所です。私の勝手な推測ですが、街でボランティア活動をしていた方も、 私の祖父も、武家政権発祥の地である、古都・鎌倉をとても誇りに思っているのだと思います。誇りに思っているからこそ、鎌倉の事を様々な人に話したり、ボランティア活動を自ら行い、 鎌倉の自然を守っていこうとしている。これは、とても素晴らしいことだと思います。こんなにも大勢の方の思いがつまっている鎌倉を、ぜひ世界遺産に登録してほしいです。 そして、私は、そういった活動をただ見ているだけ、というのは、とても悔しく思います。私は鎌倉市民ではありませんが、受験し、鎌倉の中学校に通えることができ、大変嬉しく思っています。 ですから、私も鎌倉のためになる事、鎌倉を守っていける事を、自ら発見し、実行していきたいです。

「鎌倉の世界遺産登録について思うこと」

横浜国立大学教育人間科学部附属鎌倉中学校 二年   飯田 美紅
先日、三十年ほど前に放送された歴史番組を見る機会がありました。戦国大名の天下 取りの話でしたが、そこから発信されるテーマは「努力」「人脈」「運」といったものでした。一方、最近の番組では、「組織と個」「優秀なチームとは」といったテーマを前面に押し出しているように思えます。 しかし、歴史の事実は変わりません。その事実をどの視点からとらえるのかで、全く伝えられるメッセージは変わります。鎌倉に八百年前幕府があった事実、武士のつくった町という事実自体に価値があるのではなく、 過去の事実に時代をあわせ、スポットライトを当て続ける今の努力にこそ価値を生み出す力があるのだと思います。
 日本人はともかく、世界の多くの国での武士「サムライ」のイメージは映画「ラスト・サムライ」で象徴された「利を捨て、誇りをとる人々」だと思います。サムライの町に自動車が似合わないのなら、 町の一人ひとりが観光客集客という利をどこまで捨てられるかといった誇りをどこまで貫けるかが大切だと思います。「世界遺産になれば補助金が」と精神的に行動するのではなく、「世界遺産になったら、 誇りを保つためにこれだけの不利益が待っている。でも鎌倉に住んでいる私たちは利を捨て、何としてもこの誇りを世界に」と多くの市民が思えた時、鎌倉は世界屈指の遺産になると思います。
 何も知らずに、また浅い知識をもってその地に訪れた人々に与えるインパクトが少な すぎては世界の遺産とはいえません。例えば、ベルサイユ宮殿、ニューヨークのセントラルパークは何も知らなくてもあるいは、浅い知識でも、大きなインパクトを受けます。
実際に訪れる大半を占める知識の浅い人には大きな入り口を、また、少数の深い知識を持った人には奥の深さを感じられる町づくりを成功しているのは日本では京都だと思います。 何の知識がなくても感じられるインパクトといくらでも入り込める奥の深さの両方を持った町だと思います。
 今回、この課題を頂いたことで、日本ではなく世界の遺産としての鎌倉を考えるよい機会になったと思います。日本だけの遺産ならば、大河ドラマや湘南の町といった周囲のブランド付けだけだと思っていましたが、 世界の遺産となると、このような小手先では通用しないことがはっきり分かりました。鎌倉が熱海や東京タワーのような観光地ではなく、世界の遺産として認められるよう利を我慢する市民の「ココロ」が大切だと思いました。

「鎌倉の世界遺産登録について思うこと」

横浜国立大学教育人間科学部附属鎌倉中学校 二年   井上 亮太
僕は、鎌倉の世界遺産登録に大賛成しています。なぜなら、自分にとって大好きなこの「鎌倉」が世界の人々にもっともっと広まってほしいからです。
 鎌倉が好きな理由は、たくさんあります。豊かな自然。そして鎌倉時代の頃の歴史があふれるほど残っていたり、夏には、美しい日本の代表である花火大会があったりするからです。 鎌倉は、何度来ても楽しく、新たな歴史の発見ができて、毎日登校していても楽しくてたまりません。
 鎌倉は、日本が武家社会として確立していった基礎である、鎌倉幕府がおかれていた 地です。鶴岡八幡宮を中心に築かれた美しい都市や寺社は、鎌倉の歴史を物語っていると思います。団葛を毎日歩いているだけで、「昔は、左右がどのような風景だったのか。」「頼朝もこの道を歩いたのか。」と想像してしまいます。 そんな風に感じられてしまう遺跡はすごいと思います。まさに、世界の遺産にふさわしいと思います。また、この遺産を世界の人々にも知ってもらいたいです。
 しかし、世界遺産登録をした場合の心配もいくつかあると思います。例えば、観光客の増加に伴い、ポイ捨てが増え美しい街が汚れてしまったりすることです。このようなことは、京都や奈良の対策案を参考にしていかなければいけないと思います。 でも、街を推進していくためにリスクは伴ってくるものだと思います。良い対策案ができるよう登録推進に関わる方々には、頑張ってほしいです。
 日本の三大古都である「京都」「奈良」「鎌倉」のうち、京都と奈良はすでに世界遺産に登録されています。だから、鎌倉は登録されるに違いないと思います。
 鎌倉が世界遺産に登録されれば、数多い外国人に、鎌倉の素晴らしさを知ってもらえると共に、日本の文化の特徴や良いところまで実感してもらえると思います。 また、日本の武家社会の歴史も理解してもらえると思います。外国人からの日本という国への関心はますます上がると思います。外国人観光客が増えれば、外国人との交流機会も増え、とても良いと思います。  鎌倉が世界遺産に登録されることによって、プラスになることはたくさんあると思います。この素晴らしい「鎌倉」は他には一つもない街だと思います。なので、僕は鎌倉が世界遺産に登録されることを心から望んでいます。

「鎌倉の世界遺産登録について思うこと」

横浜国立大学教育人間科学部附属鎌倉中学校 二年   江口 由里子
私は、鎌倉は世界遺産に登録されるのにふさわしい場所だと思います。
 まず、鎌倉は武士が中心となって政治を行う。『武家社会』が始まった所だからです。鎌倉時代、源頼朝が幕府をおく場所に鎌倉を選んだのは、 地形的に三方が山、一方が海という敵に周りから攻められにくい地形だったからという理由があります。鎌倉には、このようなほかの場所にはない独自の特徴があります。
 次に、鶴岡八幡宮や高徳院の大仏などの古くからの建築物があるからです。都市の中心とされた鶴岡八幡宮には、日本人から外国人まで、さまざまな人が参拝に訪れます。 高徳院の大仏は、一二四三年北条泰時の時代に造られて以来、台風などの災害で壊れてしまったこともあったそうです。しかし、また造り直して今でもきれいな状態で残されています。
 私が、いつも登校する時に通る段葛は、源頼朝が妻の北条政子のために作りました。段葛には、八幡宮に近づくにつれてだんだんと道幅が狭くなるという工夫があり、 歩いていて初めて実感した時は、おもしろいなと感動しました。春には桜が一斉に咲き、本当にきれいです。周りでは観光地として交通機関が整備されたり、 新しい建物が建ったりして変わっているのに、この中心となる段葛はかわらずに残されていて、すごいと思います。
 鎌倉には、昔の様子や文化を表しているものがほかにもたくさん残されています。
鎌倉時代から現在まで何百年もの間大切に保管されているのは、武家社会発祥の地だからなのかもしれません。当時それをつくった人も、保護してきた人も、きっと何か特別な思いを持っていたのだと私は思います。 この思いを受け継いで大切に保護し、きれいな状態を残し続けることはなみたいていのことではありません。多くの人々の努力の結果であると思います。これはとてもすばらしいことだと思います。
 今は、経済がどんどん発達し、高い建物が建ったりして、古くからある建物や自然が壊されているという所がたくさんあるように思います。しかし、鎌倉では昔から守られてきた遺産が大切に保護されてきました。 そんな鎌倉は、日本の象徴だといえると思います。ですから、これからもずっとこの鎌倉に残された遺産を多くの人々の思いと共に守り続け、次世代へ受け継いでいくべきだと私は思います。

「鎌倉の世界遺産登録について思うこと」

横浜国立大学教育人間科学部附属鎌倉中学校 二年   小野田 亮
「鎌倉の世界遺産登録に向けて」と聞いたとき、僕は少し驚いてしまった。まだ鎌倉は世界遺産ではなかったのだ。
 僕は、この鎌倉という街がとても好きで、通学以外にもちょくちょく遊びに来たりもする。初めて訪れたのはいつだったろうか、僕は「きれいだな」と感じた。 しかし、何度か訪れるたびに、この「きれい」というのが、今まで僕が感じていたものとは違うのではと思うようになった。うまく言い表せないが、雰囲気がきれいなのだ。
 鎌倉は、「武家の古都」である。それゆえ、武家らしい落ち着いた佇まいだ。鶴岡八幡宮にせよ、建長寺にせよ、鎌倉大仏にせよ、来た者の心を静かにするような気がする。
これはやはり、千年もの歴史が造り出す、深い味わいなのであろう。また、禅宗に代表される中国の文化と、日本の武士の心が融合した独自の文化が、この鎌倉の雰囲気を作り出しているのだと思う。 この雰囲気を、きれいだなと僕は感じたんだと思う。これは、日本のどこを探しても、鎌倉でしか感じられないものだと思う。
 もう一つ、鎌倉を世界遺産だと感じていた理由がある。それは、鎌倉という地の「力強さ」だ。鎌倉時代に多く造られた建造物たちは、長い時を経た今でも僕たちの目の前に姿を残している。 この建物たちも「地震大国」の日本において、幾度となく倒れてきている。関東大震災のときは、今までずっと無事であった一の鳥居を含め、鎌倉の寺社はほとんど倒壊してしまったのだ。だが、再び立ち直り、以前よりさらに力強くなっていった。 この震災に負けない力強さ、粘り強さをもった鎌倉は日本人のみならず、世界の手本となれるような街ではないだろうか。
 ただ「歴史のある街」ではなく、様々な魅力のある鎌倉だが、ひとつ気になるところがある。それは宅地開発の進行だ。昭和の鎌倉攻めと言われたときほどではないのかもしれないが、じわじわと住宅地が広がっているようにも思える。 「住宅を建てるのはやめろ」とは言えないのかもしれないが、やはり今の雰囲気が「鎌倉」だと思うし、貴重な自然を壊してほしくない。鎌倉が好きだから住みたいと思うのだろうが、やはり好きなればこそ鎌倉の価値というのを分かってほしいなと思う。  鎌倉は、皆に愛される街だ。歴史があるが威張った感じがない。ものすごく謙虚な街だ。まさに日本人を表した様な街であると思う。日本が世界に誇れるのは、やっぱりこの「日本らしさ」だろう。鎌倉が世界遺産になることを、切に願う。  最後に、僕がきれいだなと感じたこの雰囲気は、鎌倉だけでなく、日本のそれだったかもしれない。

「鎌倉の世界遺産登録について思うこと」

鎌倉学園中学校 三年   小柳 雄太郎
僕の学校のある鎌倉市では、歴史的な世界遺産登録に向けてさまざまな取り組みをしています。例えば、史跡の管理体制を強化したり、この取り組み自体を市民や観光客にアピールしたりしています。
 僕は、これらの「古都鎌倉の世界遺産登録」に賛成です。鎌倉幕府の中心地として、鎌倉は世界遺産にふさわしい街景観を持っていることとともに、世界的にも有名な史跡がたくさんあります。 しかし、これらの遺産登録を実現していくためには、やはり市民や観光客への協力の呼びかけと、この計画のアピールが必要になってくると思います。
 まず、市民や観光客への協力を呼びかけることについて考えてみます。遺産登録を実現するためには、やはり市民がこのことについてどれだけ関心を持ち、どれだけ協力してくれるか、 ということが大事だと思います。世界遺産となると、それだけ清潔で美しい街でないといけません。鎌倉市では、ゴミに関する問題はあまり起きていませんが、少なからず「ポイ捨て」をする人たちはいます。 遺産登録を実現していくためには、観光客や市民に対して「ポイ捨てをしない」という規則を全面的にアピールして、協力を呼びかける必要があります。もちろん、僕たち学生でも、「ポイ捨てをしない」という規則は守らなければなりません。
 そして二番目に必要なのが、遺産登録を全世界にアピールしていくことです。みんながこのことを知らなければ、全く関心など持ってくれませんし、世界的な観光地である鎌倉だからこそ、 ワールドワイドでこの計画をアピールしていく必要があると思います。そのためには、テレビ局や新聞社、インターネットなどのメディア通じて、いろんな人たちにこのことを知ってもらうことが大切です。 これから鎌倉を観光する人たちにも、遺産登録の計画を知ってもらえば、史跡や公園といった公共施設を大切に使おうという意識を持ってくれるはずです。
 僕がこの計画を実現していく上で重要だと思うのが、観光客や市民に対して負担をかけすぎないということです。負担をかけすぎると、世界遺産本来の意義である「史跡を保護すること」とかけ離れてしまうからです。 遺産登録に向けてある程度の負担は仕方ないと思いますが、あまりにも規則が厳しいと、公共施設などが利用しにくくなったり、市民にとっても住みにくい街になってしまいます。 遺産登録をしていくためには、観光客にとって利用しやすく、市民にとって住みやすい街づくりをしていく必要があると思います。
 遺産登録のためには、やはり一人ひとりの努力が必要です。市民、観光客が一丸となって協力をしていかなければなりません。僕も、今後は公共施設を汚さないように利用したり、 ゴミをできるだけ出さないなどの努力をして、いろいろな人たちへ遺産登録の計画をアピールしていきたいと思いました。

「鎌倉の世界遺産登録について思うこと」

鎌倉市立第二中学校 三年   斉藤 優
なぜ鎌倉の大仏には屋根がないのだろう。小学生の夏休みの自由研究で、鎌倉と奈良の大仏を比較した時、一番疑問に思いました。
 私の家では、休みの度に厳島神社や清水寺など世界遺産のある所を旅しています。父はよく、本物を見ることはとても大切なことだと言います。なかでも、奈良へは修学旅行も含めて十回以上連れて行ってもらいました。 そのたびに、朱雀門が復元されていたり、薬師寺の塔が再建されていたり、時間をかけたていねいな作業の中に、歴史を大切にする想いを感じてきました。
 鎌倉の世界遺産登録について考えた時、まずそのことを思い出したのです。そこで、鎌倉が世界遺産に登録されたらどうなるのかをくわしく知るために、市役所でパンフレットをもらいました。 その中に、「世界に対して責任をもつ」という言葉をみつけました。鎌倉に住んでいるにもかかわらず、遺産候補の二十四件について全てくわしく知っているわけではありません。 しかし、大仏に屋根は必要だと思います。また、やはり小学生の時、学区にある永福寺についても調べました。図書館で復元図を写した時、朱雀門のように、永福寺が復元されるといいと思いました。 そして、展示できずに保管されている大量の土器などを見て、学べるような博物館を作ることも必要だと思います。奈良・京都や東京、そしてまだ行ったことがない九州とも違う、 武家の文化を伝える博物館があるべきだと思います。簡単にできることとは思わないけれど、このように、遺されたものを大切にすることが、「世界に対して責任をもつ」ということにつながるのではないでしょうか。
 そしてもうひとつ、忘れてはいけないのは、環境を整えることだと思います。世界遺産に登録されれば、鎌倉を訪れる人はさらに増えることと思われます。 ゴミの問題や、交通渋滞による大気汚染が心配です。登録を機に、パーク・アンド・ライドの徹底を図る必要があると思います。「世界に対して責任をもつ」ということは恐らく、 遺産を整備するだけではなく、それらを守るために、多少、不便な思いをしても、環境を守ることなのだと思います。

「鎌倉の世界遺産登録について思うこと」

鎌倉市立第二中学校 三年   坂本 悠介
僕の家族が鎌倉の地に住み始めたのは、僕の祖々父の代からで、自分も生まれてからずっと鎌倉に住んでいます。僕自身も会ったことのないその祖々父は、 もともと住んでいた厚木から鎌倉の地へ引っ越して来て、十数年もの間、石垣などをつくる石工の仕事をしていました。その石垣の数は市内で数百ケ所にも上るそうで、 今でも残っているその石垣のある道を通ると、自分の祖先がこの地で生きた証は、石垣というものを通して、現在もまだこの鎌倉の地にしっかりと残っていると、実感することができます。
 しかし、それらは実用性をあまり重視せず、その場所の風景や雰囲気となじませるようにつくられた、一種の観賞用であるために、実用性を重視する現代ではその石垣も、とても残念ながら、崩されつつあります。
 そして、現在では鎌倉の世界遺産への登録という話が上がっています。ですが、僕は鎌倉を世界遺産登録する上で、鎌倉という土地を、鎌倉という短い時代だけで成り立ったものとして、とらえないでもらいたいのです。 それは今の鎌倉があるのは、様々な時代の人々の手によってつくり出されたものがあったからであり、僕はそういった思いを込めて、この世界遺産登録の話を実現させて欲しいと思います。
 また、鎌倉の地には、人々の手で産み出されたもの以外にも、美しい緑や海といった自然があります。これは鎌倉と深く、そして古くから結びつくものであり、僕はこの年までこの地で生活をしていて、 自分は本当に自然に恵まれているな、と感じる事がしばしばあります。市内でも山や緑が望めない所はほとんどなく、海岸に足を運べば、いつも潮風が迎えてくれるのです。そして、これらがあるからこそ、 鎌倉を世界遺産にしようという思いも、より一層強くなるのでしょう。また、人々が持つその気持ちこそが、鎌倉を世界遺産登録へと導く一番強い力となるのです。
 そうして今、鎌倉に住んでいる私たちにも、やらなければならない事があります。そ れは、もっと自分の住んでいるこの地に対し、どんな所からでもいいから興味を持って、知識を増やし、そこから自分自身の考えを持つ事。そして、もう一つは、鎌倉という自然にも恵まれた、 歴史と文化のある土地に住む者として、誇りを持つという事。私たちにできるのは、まずそこからだと僕は考えます。そうすればそう遠くはないうちに、鎌倉の世界遺産登録は必ず実現させることができるでしょう。

「鎌倉の世界遺産登録について思うこと」

横浜国立大学教育人間科学部附属鎌倉中学校 一年   平瀬 栞理
先日、祖父が住んでいる大田市の石見銀山が世界遺産に登録されました。この銀山は徳川幕府の天領となり、ここから採掘される銀は、幕府は勿論、日本と外国の貿易に大きく貢献しました。明治の頃まで生産されていた様です。
 その後、ここに住む人たちが銀山のあとを昔のままの姿で大切に保存していたことが世界遺産に登録された要因と聞きました。それを聞いて、私の住んでいる鎌倉はどうかなと思いました。
 私が鎌倉と聞いて思い浮かぶ事は、歴史がある事、切り通し、川、海、史跡、石碑です。鎌倉には、まだまだ私の知らない良い所もあると思います。鎌倉は古都の街ですが、 鎌倉駅周辺の店舗や新しい住宅などの現代的な部分と商業的な部分で古都の鎌倉からは少しかけ離れてしまっていると思います。だから私は、鎌倉の雰囲気を損なわない為にも、看板の配色やゴミ、建物への配慮が必要だと思います。
 又、その反面、古都の町としては、昔ながらの道の名前や町名、雰囲気、橋、池、山などの名前が残っているので良いと思います。
 私が毎日中学校へ通う道は鶴岡八幡宮へと続く段葛です。段葛も鎌倉時代の歴史を語る大切な旧跡です。
 かっては政争が繰り返され、幾度か戦火を交えましたが、今は三方山に囲まれ、南には潮の香のする海が広がる平和な自然豊かな街です。又、宋との交流により色々な文化が中国から取り入れられ数多くの寺社が建立されています。
 これら鎌倉時代からある寺社をはじめ旧跡、名所は自然と調和し、美しい姿をとどめています。こうした歴史を秘めた旧跡はとても貴重なものですが、 鎌倉で忘れてはいけないのは一年中花々が咲き誇る街だという事です。寺社の庭には代々の住職や神官が植物を慈しみ育て又、住宅街の庭や窓辺にも花が満ち溢れ植物好きの人々が多いと思います。春は、桜、初夏は紫陽花、楓、木蓮、秋には金木犀。 花からも季節をとても感じる街です。
 鎌倉は歴史、人、自然が一つに融合した素晴らしい街です。こうした鎌倉時代の歴史、自然に触れて生きている私はとても幸せです。私は鎌倉が大好きです。又ここに住んでいることを心から誇りに思っています。 全国、また海外からも旧跡を訪れ各々に深い感動を与えてくれる街。これが鎌倉です。鎌倉時代の歴史遺産と鎌倉の海、山の自然を手を加えずあるがままの姿で後世の人々に伝えていくことが大切だと思います。 これがここに住む人たちの大きな責務でしょう。もっともっと鎌倉の素晴らしさを再発見し、世界に鎌倉のよさをアピールしていくことが大切だと思います。鎌倉は私たちだけの遺産ではなく、世界の人々の為の遺産として、残すべき貴重な街です。

「鎌倉の世界遺産登録について思うこと」

横浜国立大学教育人間科学部附属鎌倉中学校 二年  野津 みづほ
私は中学に入るころ鎌倉に引っ越しました。鎌倉に住んでいて一番に感じることは「自然」が豊かだということです。例えば、私の家の近くには、扇川という川が流れていて、 そこにはモズクガニや蛍の餌になるカワニナがたくさんいます。今でも川の上流にいけば蛍が見られるそうです。次に感じることは「歴史的・文化的遺産」が多く残っているということです。 代表には「鶴岡八幡宮」「長谷寺」「高徳院」などがあります。この「自然」と「歴史的・文化的遺産」は世界遺産登録の理由としては、すばらしいものだと思います。
しかし、鎌倉にはもう一つ「観光地」としての顔があります。これは世界遺産登録を目指すにあたってはマイナスになると私は思うのです。なぜなら、「観光地」では商業化が進むからです。 経済面では良いかも知れませんが、それは鎌倉が俗化されてしまうことにはならないでしょうか。
最近世界遺産に登録された島根県の「石見銀山」に私は行ったことがあります。ここが世界遺産に登録された理由の一つとして、ここが昔のままであったこと、つまり俗化していなかったということがあります。 鎌倉市が世界遺産登録を目指すならば歴史的・文化的都市と商業観光都市を両立させることが必要です。京都などでは町の景観を守る条例を作っています。鎌倉も同じように条例を出して景観を守ろうとしていますが、 まだ十分に成果が上がっているとはいえないようです。
ユネスコ世界遺産センターが定める登録の条件をふまえて、鎌倉市は、歴史的遺産としての対象候補遺産とその核心地域を確定しようとしています。核心地域となる対象候補遺産は、 文化財保護法による国の指定史跡を受けていることが必要なことで、まずその対象候補遺産を増やすことが大切です。また、市はこれらが将来にわたって適切に保存管理されることを証明しようとしています。 対象遺産の価値や環境を保護するため、周囲に確保される、利用に制限のかかった地域を緩衝地帯といいますが、鎌倉には、緩衝地帯が広く指定されています。この区域を最大限にいかし、 広げて行こうと市は考えていますが、鶴岡八幡宮の東側と若宮大路の周辺の区域等、緩衝地帯を確保する必要がある地域で、まだ十分でないと思われる区域があるそうです。 こうした地域では町づくりの視点からの取り込みが必要だと市では考えているそうです。
最後に、世界遺産登録のためのアイディアを書いてみましょう。私は学校の帰りなどに観光客の方によく道を聞かれたりするので、いろいろな場所に地図を大きく掲示してみると良いと思います。 昔設置された石碑はありますが、外国人観光客や鎌倉探検に来た小・中学生達などには石碑だけては理解しにくいと思います。その横に掲示板を設置して説明するとよいと思います。 また、鎌倉の歴史資料館を作るなどしてより多くの人々に鎌倉の歴史的・文化的遺産価値を知ってもらうことも大切だと思います。鎌倉が世界遺産に登録できるように私なりに精一杯応援しようと思います。

「鎌倉の世界遺産登録について思うこと」

横浜国立大学教育人間科学部附属鎌倉中学校 二年  本多 忠敬
今年の夏休みに、岐阜県白川郷の合掌造り集落に行きました。それは、僕にとって七つ目の世界遺産めぐりになりました。
世界遺産めぐりを始めたきっかけは、小学校六年生の日光修学旅行でした。その時、世界遺産について興味を持ちました。また、僕が通っていた小学校では、総合的な学習で、「卒業論文」を書くことになっていました。 そこで僕は、「沖縄の世界遺産」についてまとめました。春休みに両親に沖縄に連れて行ってもらい、首里城跡や座喜味城跡を見ました。その後、姫路城、奈良の法隆寺、広島の平和記念碑(原爆ドーム)、宮島の厳島神社をめぐりました。
どこも一度は写真やテレビで見たことはありましたが、本物を目の前にすると、ドーンと自分にせまってくるようで、とてもインパクトが感じられました。その時代のできごとや人々の生活ぶりを少し知ることができました。
日本にあるユネスコ世界遺産は、現在十四件で、自然遺産三件、文化遺産十一件が登録されています。鎌倉市は、「武家の古都、鎌倉」として世界遺産への登録をめざしています。 一九九二年に暫定リストに掲載されました。ユネスコ世界遺産とは、「歴史、芸術、学術、景観に関わる顕著にして普遍的な価値をもつ人類共通のかけがえのない財産」のことです。 人類共通の財産として保存しなければなりません。世界遺産は特定の国のものではなく、人類共通の財産です。自国の自然や文化だけでなく、他の国の自然や文化を保護し、後世に残していく心が、 地球環境の保護につながり、世界の平和を築くことにつながると言われています。
僕が、白川村のそば屋に入った時、壁に白川村民憲章が貼ってあり、目にとまりました。
「わたくしたちは、霊峰白山のふもと、美しく厳しい自然と香り高い文化に恵まれた白川村民です。」
〇美しい風土を誇り自然を守ります
〇純朴な心を失わず感謝の生活をします
〇豊かな文化を尊び伝統を活かします
〇厳しい自然に負けずたくましく生きます
〇互いに力を合わせ住みよい村をつくります
僕は、この憲章を読んで、鎌倉の世界遺産の登録を推進する立場で考えてみました。世界遺産は、ひとりやふたりの力でできるものではなく、そこに住む多くの人の力が必要である、と思いました。 鎌倉に住む人は誇り高い人が多いと聞いています。鎌倉という 町が好きな人がたくさんいます。地域学習で知りましたが、伝統を守る人たちもたくさんいます。鎌倉時代から残されている文化遺産を守る心を感じました。僕は、鎌倉が世界遺産になることを心待ちにしています。 鎌倉を世界に誇れる町にすることは、僕たちみんなの義務と責任だと思います。

「鎌倉と私」

横浜国立大学教育人間科学部附属鎌倉中学校 二年 増井 友美
私と鎌倉の出会いは、もう十年以上前になります。アルバムを開くと、まだベビーカーに乗っている頃に大仏のそばで鳩を追いかけている写真もあります。 でも私自身が「鎌倉」という場所を意識するようになったのは、六年生の「鎌倉体験」がきっかけでした。この鎌倉探検は、グループ毎に交通手段や鎌倉の中で行く場所を決めるもので、総合学習の一環として行われました。 私たちのグループは円覚寺―頼朝の墓―鶴岡八幡宮―長谷寺―高徳院に行くことにしました。どこに行くかを決めるにあたり、鎌倉にはあまりにも多くの歴史的建造物があることに驚きました。 行ってみて感じたことは色々ありますが、特に感動したこととして今でも鮮明に覚えているのは、長谷寺の風景の美しさと大仏の大きさです。長谷寺には様々な色の紫陽花が咲いており、そばを流れる水が、 より一層、趣を与えてくれていました。そして、長谷観音は大きさもさることながら、独特の重み、雰囲気がありました。高徳院の大仏ではその大きな姿に感動すると共に、 昔の人が、こんなに大きな大仏を造ったのかと思うと、改めて技術のすごさを感じてしまいました。
 まだまだ鎌倉には多くの歴史的建造物があり、それら一つ一つに文化や技術、歴史的背景等、様々なものが示唆されています。そして、造るのは人間なわけですから、 どの建造物にもそれを造ることに携わった人々の希望や願いなどが込められていることになります。ですから、これらの建造物に触れることは、歴史をさかのぼりながら、その時代の人々のことを考えてみる機会にもなると思います。
 高層ビルが立ち並ぶ現代であるにもかかわらず、鎌倉は山や海などの多くの自然に囲まれています。桜、紫陽花、つつじ、銀杏等、四季折々の鎌倉の自然の美しさを味わうことが出来るのも鎌倉の魅力の一つでしょう。 そして、鎌倉は観光地でもあるために、にぎやかさもあります。「わび」「さび」の側面とは違った鎌倉の現代的な側面です。この両面をあわせ持っているからこそ、 鎌倉は若い人からお年寄りまで幅広い年齢層の人達から愛され、一年中多くの人達が足を運ぶのではないでしょうか。
 ところで、私は今鎌倉の中学校に通っています。鶴岡八幡宮のすぐそばにある学校です。近くには山があり、まさに歴史と自然の中にある学校と言ってもいいかもしれません。 こんな素晴らしい環境の中で中学校生活を送っている私は、とても恵まれていると言えるのではないでしょうか。
 この自然や歴史の良さをもっともっと味わいながら、鎌倉との「縁」を大切にし、鎌倉のことをさらに好きになっていきたいと思います。

「鎌倉と私」

横浜国立大学教育人間科学部附属鎌倉中学校 一年 正岡 蒼
東京方面より来た横須賀線が、大船を過ぎて北鎌倉近くまできた時、急に景色や空気が変わる気がします。  そこが鎌倉です。
 今、私は大船より通学していますが、毎回のようにこの変化を楽しんでいます。
 いったい何が変わるのでしょうか。
 眼で見た景色。車窓の緑が一気に増えます。空気。たぶんこれは海岸が近くなることにより、吹いている風が海風に変わったことによるものでしょうか。
 歩いていると必ず、お寺や神社に出会うのも鎌倉。
 私は幼稚園年中まで四国の高松市に住んでいましたが、歩いていて神社やお寺を見かけることは少なかったです。
 鎌倉では普段の生活の中に、普通にお寺や神社があるのです。高松より引っ越してきて入った幼稚園も神社でした。梶原の祖母の家に行ったときにはよく裏の公園で遊びますが、そこは葛原が岡神社の境内です。
 父は学校の帰りに銭洗弁天や佐助稲荷神社に寄り道をして帰りが遅くなり、たびたび怒られていたそうです。
 海。時々、犬を連れて稲村ガ崎から七里ガ浜まで砂浜を散歩します。犬は砂が気持ちいいのか思いっきり走り回り、穴を掘って真っ黒になります。砂浜の小さな貝や変わった形の流木などを探しながら、 波乗りをするサーファー、そして遠くに見える江ノ島、富士山などを見ながら散歩していると、とても気持ちがいいです。
 緑。鎌倉には緑や自然がいっぱいあります。今年の春に祖母の家でキツツキの仲間のアオゲラが木をコンコンとツツいてえさを探しているのを初めて見ました。
 夏はセミの声がうるさいほどです。大きなヘビの抜けがらも見つけました。湧水もあり、近所の人はそのまま飲んでいます。
 このような歴史、海、山、自然が何気なく普通に楽しめるところが鎌倉の魅力だと私は思います。
 けれど、この魅力が何もしなくて守られてきたのではないでしょう。鎌倉に住む人や、鎌倉を好きな世界の人達の思いが守ってきたのではないでしょうか。
 十年、二十年先、いつまでもこの鎌倉の魅力が続くように大切にしていきたいと思います。

「鎌倉と私」

よこはま国立大学教育人間科学部附属鎌倉中学校 二年 山本 あづる
私は小学生の時から今に至るまでの八年間、電車に乗って、逗子から鎌倉へ通っています。ここで学校生活を送るうちに、私は鎌倉の様々な面を見つけ、大好きになっていきました。 これから、なぜ私が鎌倉を愛するようになったのかを書きたいと思います。
 小学校一年生の入学式の日、私が胸を躍らせながら歩いた段葛は記憶の中に強く残っています。その日は快晴で段葛に咲く満開の桜は一年生になるのを祝ってくれているようで気持ちが高鳴りました。
 また、周りにある山々や木々、草花が春には薄桃色に色付き、夏には青々とした緑になり、やがて秋には美しく紅葉して、冬には水墨画のような、落ち着いた景色に変化します。 ですから、私は毎年しっかり四季を感じることができます。また植物だけでなく、うぐいすやセミなどの生き物も季節の訪れを教えてくれます。このように四季をこれほどにまではっきりと感じさせてくれる場所、 それが鎌倉なのです。私が鎌倉を大好きな理由のまず一つは“季節をはっきりと告げてくれる”ことです。
 そして、どこの中学校でも歴史を習うと思いますが、鎌倉にいると歴史をさらに楽しく学べます。外に出れば、すぐ近くに歴史的な人物が暮らした場所や建造物、何百年も前から鎌倉を見守ってきた寺院や神社があるのです。 例えば鶴岡八幡宮は1180年に源頼朝が今の場所に移した建造物で源氏の氏神様が祭られています。先程の段葛も1182年に源頼朝が妻の政子の安産を祈って造らせたものです。 他にも鎌倉五山という禅宗寺院最高の寺格の寺院が五つもあり、それが定められたのは1386年ほどと伝わっています。このように、鎌倉に生活していると歴史を身近に感じられ、 ここに頼朝はいたんだななど思うと、とてもわくわくします。ですから、私は歴史に関心を持って学べるようになりました。“至る所に歴史が息づいている”ことが私が鎌倉を大好きな理由の二つ目です。
 今はどこも開発が進み、都会化した街が昔よりも増えています。また一方で、四季をはっきりと感じられる場所や伝統的な建物が見られたり、歴史を体感できたりする場所がどんどん減っていると感じます。 私は日本独特の伝統的な建造物や文化を守って、その素晴らしさを世界中に伝えることは大切だと思います。そのために鎌倉は必要な場所です。
 私にはオーストラリア人の父を持ついとこが三人います。前に彼らが日本を訪れた時には鎌倉の案内ができませんでした。今度彼らが来日した時には、しっかり紹介できるよう勉強していくつもりです。 これは私にとって日本独特の伝統文化を世界に伝える第一歩になると思います。
 私は、鎌倉がぜひ世界遺産に登録されることを願っています。そして、大切に保護し、世界中の人に日本の伝統文化の素晴らしさを実感してもらいたいです。

「鎌倉で歴史を感じる」

鎌倉市立岩瀬中学校 三年 諸星 佑香
「鎌倉」といったら、何が思い浮かぶでしょうか。きっと多くの方々は「源頼朝」「武士」「幕府」などといった鎌倉時代の歴史の数々を想像されると思います。その通り、鎌倉にはたくさんの歴史が残されています。
 たくさんの自然と歴史に囲まれた鎌倉に住んでいる私は、普段の生活の中にも歴史を感じることがよくあります。
 鎌倉のいたるところにある切り通し。近くでは巨福呂坂や亀ヶ谷などがあります。そこでは鎌倉時代の武士たちによって生み出された数々の知恵や工夫を見ることができます。 山を切り拓いてつくった切り通しは、武士たちの通り道でした。切り通しの幅は狭く、馬は一頭しか通れません。逃げるために通過した敵を、切り通しの反対側から攻めて逃げ場をなくしたのでしょう。 坂は急で足場も悪く、こんなに曲がりくねっていては、馬上の敵は矢を射ることさえ困難であったと思います。
 また、切り通しの両側は崖になっています。そのため,崖の上から石を落としたりして、攻撃することもできたのでしょうか。
 このような東国の武士らしい知恵と工夫を感じられる切り通しが、鎌倉にはたくさんあるのです。切り通しに一歩入れば、そこはもう鎌倉時代の武士の世界です。 切り通しを歩く時、私はわくわくします。鎌倉時代にタイムスリップしながら武士の世界を想像しています。
 切り通しのように、歴史を実感できる場所はまだまだ身近にあります。今は車の通る量も多い若宮大路などもその一例です。
 若宮大路は八幡宮から由比ガ浜までまっすぐにのびた八幡宮の参道です。鎌倉時代、若宮大路の東側には多くの武将の屋敷が立ち並んでいました。武士は若宮大路の鳥居辺りで馬から下り(下馬)、八幡宮に参拝していたようです。 今、私たちが歩いている地面の百八十センチメートル下に,鎌倉時代の参道が埋まっていると聞きました。
 私たちが歩いているすぐ下を、武士たちが歩いていたのです。そんなことを考えながら歩くと、また鎌倉時代にタイムスリップしたように感じられます。
 鎌倉に住んでいますが、まだまだ知らないことがたくさんあります。鎌倉を歩く時、鎌倉の歴史を知っているのと知らないのでは、感じることが全然違います。少しでも知っていれば、歴史を身近に実感することができるはずです。
 鎌倉を世界遺産に登録し、鎌倉に住んでいる人はもちろん、日本だけでなく、世界中に人々に、奥深いたくさんの歴史を持つ鎌倉の魅力を知ってもらいたいと思います。

「鎌倉で歴史を感じる」

鎌倉市立玉縄中学校 三年  磯部 蘭
私が鎌倉市に来たのは、小学6年生の春でした。それまでは横浜市に住んでいたので私は寺院や神社と緑の多さに驚きました。買い物をする時も、家のすぐ近くに店がないので山も下って行かなければなりません。 しかし、最初は不便だと思っていたけれど、三年も経つと愛着が湧いてきました。他の街に出掛けると、つい辺りを見渡し、「緑が少ない」や「建物が高い」というように思ってしまいます。私はだいぶ鎌倉に馴染んできたなと思いました。
私は寺院や神社に行くのが好きです。以前は、それほど興味はなかったけれど、鎌倉に引っ越してきてからは、寺院や神社に行くのが好きになりました。
さて、北鎌倉のすぐ近くにある円覚寺の自動販売機とごみ箱には、ある工夫がされています。それは、自動販売機やごみ箱の色が周囲の木の色や建物の色に馴染むように、 普段見慣れている赤や青や白のような各会社で統一している目立つ色ではなく、薄い茶色の自動販売機や濃い緑のごみ箱が置かれていることです。私は、自動販売機は木の幹、 ごみ箱は植木のように見せているのかなと思いました。細かいところまで気を配っていてとても良いアイデアだと思いました。
このように、鎌倉市には良いところがたくさんありますが、その一方で悪いところもあると思います。それは住宅についてです。私は最近あらゆる所でマンションが建設されていると思います。 マンションが建つことは悪とは思わないけれど、建てる場所を考えて欲しいと思います。私は観光名所や駅のすぐ近くには建てるべきではないと思います。
なぜならば、観光客がガイドブックを見て来た時に歴史的な建物の近くに現代的な建物はない方が鎌倉らしい古風な雰囲気が出ると思うからです。 また、駅の近くにマンションをあまり建てて欲しくない理由は、電車からの景色を悪くしないためです。せっかく森林がたくさんあるのに、わざわざ高層マンションで良い景色を隠してしまうことはないのではないかと思います。
私は鎌倉が好きです。鎌倉に住んでいない人にも、鎌倉の良さを知ってもらい、多くの人に好きになってもらいたいです。ですから将来は鎌倉市役所で働きたいと思っています。 そして、多くの人と触れ合い鎌倉の良さを少しでも多くの人に伝えて、鎌倉を訪れる人が今以上に増えると良いなと思っています。

「鎌倉に出会って」

鎌倉市立第二中学校 三年  岡本 彩
緑の山々に囲まれている鎌倉は自然と歴史が入りまざった場所だと思います。私は鎌倉へ小学校の頃、転校してきました。鎌倉にはたくさんの植物や動物が生きています。ここへ来てから、びっくりするほど様々な生き物に出会いました。 六月頃になると私の家の近くにある川には蛍が飛んでいます。最初見た時は驚いたけれど鎌倉にはたくさんいるようです。夏になるとセミが元気よく鳴き、短い一生を懸命に生きている姿が見られます。 それともう一つ、鎌倉ならではの動物はタイワンリスです。家の裏にある山から「カラカラカラ…。」と聞いたことのない声が聞こえ、不思議に思っていました。 その音がリスだと分かった時は、「リスってあんな音出すんだ。」と、びっくりしました。このように鎌倉は東京の隣にある県だとは思えないくらい自然がいっぱいです。
鎌倉の自然に負けないほどの魅力を持つものはやはり歴史だと思います。鎌倉を幕府の本拠地にした源頼朝は海に面し、三方が山で囲まれているので鎌倉を選んだという話は有名です。 今でもたくさんの観光客が古都鎌倉に足を運んでいます。頼朝が鎌倉の地を選ばなかったらたくさんの人が、ここまで訪れなかったのではないでしょうか。 学生の時に必ずと言って良いほど勉強する地なので日本の文化、歴史において重要であることは言うまでもありません。他にも鎌倉の歴史に深く関係のあるものが数えきれないほどの寺社です。 鎌倉に住んでいる人でも全ての寺社を巡ったことがある人は少ないと思います。私の周りにいる知り合いにも家がお寺という人がいるほど、鎌倉と寺社は身近な存在であるということが分かります。
鎌倉の良い所はそれだけではありません。鎌倉はゴミの分別をしっかりとしています。日本全体で見ても、分別率の高い自治体だそうです。鎌倉はミックスペーパーやプラスチック類、 ボール紙など他の地域と比べて、細かく仕分けをしています。リサイクル出来るものはちゃんとリサイクルをする、と心がけている人達が多いのだと思います。それはどうしてなのかと私は思いました。 きっと鎌倉に住んでいる人はいつも緑が周囲にあるので環境を守ろうという気持ちが自然と身につくようになるのかなぁと考えました。小さな気遣いで緑が無くならないよう心がける地域がどんどん増えれば良いと思います。
鎌倉に引越ししてきてから私は、以前よりも緑あふれる自然に目を向けるようになれた気がします。たくさんの人達が鎌倉に訪れ、自然や歴史を感じ、少しでも考えたりしてくれれば未来は少しだけれど変わるんだろうなぁと思います。 私にとって鎌倉は、多くのことを学べる、そして考えさせられる地です。

「鎌倉と私」

横浜国立大学教育人間科学部附属鎌倉中学校 一年  勝田 早紀
みなさんは鎌倉と聞いて、何を思い浮かべるでしょうか。きっと歴史が古い所と思ったり、自然が豊かな所と考えるでしょう。又、鎌倉文士など作家にゆかりのある所、歴史的にも重要な所とも思うでしょう。 私にとっての鎌倉について書きたいと思います。
一つめは祖父母の住んでいる所についてです。私の祖父母はどちらとも鎌倉に住んでいます。母方は海の近くに住んでいるので、小さい頃から浜辺でよく遊びました。気軽に遊びに行くことができるので、 とても楽しめます。父方は北鎌倉に住んでいるので、ハイキングなど近くの山を散策したあとに、気軽に寄ることができます。母方は海、父方は山と鎌倉ならではの自然を楽しむことができます。 こんなことができるのは、身近に豊かな自然があるからだと思います。
二つめは歴史とゆかりのある鎌倉で生活をしているということについてです。私は歴史を意識して生活しているわけではありません。しかし、少し考えてみると、通学路は源頼朝が政子のために造った段葛を、 約七年間も毎日のように歩き続けています。幼稚園は円覚寺にあり、小さい頃からこういう中で歴史を意識せずに生活をしていたということです。
このように祖父母がどちらとも住んでいて、鎌倉という由緒ある歴史的な所で普通に生活しているということは、私にとってとても素晴らしいことだと思います。小さい頃から鎌倉ならではの自然で遊べるというのも、 素晴らしいことだと思います。だから私は、鎌倉が好きです。
しかし、現在、住宅を建てるために山をくずし、緑が減っています。又、海は気持ち良く思いっきり泳げるような澄んでいる海ではなく、きれいではありません。このことは私にとって、とても残念なことです。 自然を本当に豊かにするためには、もっと鎌倉を自然豊かな住みやすい町にしようと、みんなが考えて努力していくことが大切だと思います。私はゴミを捨てないということや、拾うということなどの小さなころから、 取り組んでいきたいと思います。みなさんも小さいことからでいいので、少しでも住みやすい町にするために、努力してくれると嬉しいです。
最後に私の好きな鎌倉の景色の三ヶ所を紹介したいと思います。一つめは春の桜が咲いている段葛です。毎年見るたびに、きれいだなと感じます。二つめは十王岩から見た、海まで続く若宮大路です。 ここから見ると、鎌倉は良い町だと改めて感じます。三つめは潮が引いた遠浅の材木座の海です。浜が広く、いつもと違う雰囲気を楽しめます。この三ヶ所が私の好きな鎌倉の景色が見れる所です。みなさんも一度は見てみて下さい。

「鎌倉と私」

鎌倉市立第一中学校 三年  金井 梨紗
鎌倉は、海があり、山に囲まれ、自然がたくさんある。そして、数多くの歴史的文化財が集まっている。
私は小学二年生まで藤沢に住んでいた。その頃はよく、祖父母のいる鎌倉に行き、海や山の自然にふれることが多かった。また、鎌倉に越して来てからも、小学生時代には家族や友達と、 近くの川や海で遊ぶことが多く、鎌倉の年中行事の一つになっている流鏑馬などを見に行ったこともある。
しかし、最近は、そのような環境があるにも関わらず、私の身近にありすぎるため、それらにふれることが少なくなっている気がする。
先日、鎌倉を歩いていると、観光客らしき子供連れの女性に声をかけられ、鎌倉駅までの道のりを聞かれた。ちょうど私も駅に行く途中だったので、そこまで案内した。 その途中で女性に「鎌倉は自然がいっぱいあって良いところですね。」と言われ、歴史と自然に恵まれた鎌倉で過ごしているという事を誇りに思った。 最近の私は、自分の住んでいる町に対して深く考えたことがなかったけれど、鎌倉の歴史をもっと知り、この町のことを大切にしなければいけないと思った。
鎌倉には、まだ私が行ったことのないない場所がたくさんある。一体、どのくらいの文化財が存在しているのだろうか?そんな疑問を持ったので調べてみることにした。なんと、五百十八件もあることが分かった。 その中で、以前、あじさいの花咲く時期に長谷寺に行き、そこで見た長谷大仏(銅造阿弥陀如来像)が、国宝の彫刻の一件であったということを初めて知り、驚いた。 また、なじみのある鶴岡八幡宮大鳥居も、国指定の重要文化財になっていることを知った。身近なところでは、私の通っている中学校の近くにある、和賀江島が国指定史跡とされている。 こんなにも、数多くの文化財が点在しているなんて思ってもいなかった。これらの文化財は、長い年月の中で、人々が産み出したものであり、その貴重な文化財や自然を守っていくことは、とても大変なことである。 しかし、今なお当時の歴史が残る建造物や遺跡が多く残され、それらの文化財と周りの自然環境が一つとなっているのは、鎌倉の市民運動がきっかけとなり、「古都保存法」と呼ばれる法律ができたからである。
これからを生きる私たちも、自分の故郷である鎌倉の文化への理解をもっと深め、皆で守っていかなくてはいけないと思う。

「鎌倉は“友達”」

鎌倉女学院中学校 一年  重田 実麗
鎌倉には、私の祖父母と小学校の時の友達の家があります。そのことから、私は鎌倉と少し“仲良し”でした。
歴史で鎌倉時代を勉強した時、楽しいと思っていました。一つ前の平安時代とは全く違って、幕府が成立したり、新しい政治ができたり、産業が発達して、牛や馬を耕作に利用することを考えついたり…。 現代と比べることはできないけれど、少し便利になった時代だと思います。
私は夏休みに鎌倉彫体験に行きました。鎌倉彫は鎌倉時代に中国から伝わった、漆を何百回も塗り重ねた器に文様を彫ったものを仏師がまねて作ったもので、これでお寺の道具や飾りなどを作りました。 しかし、明治時代になって政府の神仏分離令によって仏像を作る仏師の仕事はほとんど無くなってしまいました。そこで、仏師達は仏像の代わりに鎌倉彫を作る仕事にきりかえ、 多くの鎌倉彫を作って日本以外の国の万国博覧会へ出品してたくさんの賞をとり愛好家も増えました。戦争によって大きな打撃を受けてしまいますが、鎌倉彫にたずさわる人達の努力によって復興され、現在では美術工芸品として、 また広く知られることになりました。今から約八〇〇年前の日本で作られた鎌倉彫がずっと続いているのは、とてもすごい事だと思います。
鎌倉には江ノ電が走っています。江ノ電の車窓から見えるアジサイの花はとても綺麗だと思います。住宅街の中の一レーンしかない線路をゆっくり走る江ノ電は風情があっていいです。江ノ電から見える海もすてきです。 窓を開けるとふわっと潮の香りがします。私の小学校の頃の友達は鎌倉の海でウィンドサーフィンをやっているので、江ノ電の窓から海を見ているとその友達の事を思い出します。
鎌倉といえば「大仏」、だと思います。大仏様の足元に立って上を見上げると、大仏様が「昔は緑に囲まれた家の中にいたのに、津波で家が破壊されたうえに、 最近では降ってくる雨が体にしみる。これが酸性雨か…」とつぶやいているような気がします。大仏様にもう一度家を作ってあげれば、大仏様もとても喜ぶのではないか、と思います。
段葛の桜はとてもきれいです。段葛の道の幅に、遠近法が使われていると聞いた時、驚きました。何でもない、ただの“桜のきれいな道”だとしか思っていなかったのに、 そんなしかけのようなものが隠されていたなんて。本当にすごいと思いました。 私にはまだまだ鎌倉の知らないことがたくさんあります。私はこんなすてきな鎌倉のことをもっともっと、たくさん知って、鎌倉ともっともっと“仲良し”になりたいです。

入賞者表彰式・発表会

表彰式集合写真

          日時: 平成19年12月8日(土) 14:00〜15:30
          場所: 鎌倉市立御成小学校多目的ルーム

          次第:[第1部]表彰式
             1.主催者挨拶  石井英明 青少年指導員連絡協議会会長
             2.来賓祝辞  石渡徳一 鎌倉市長
             3.表彰
             4.選考講評  早乙女貢 鎌倉ペンクラブ会長
          − 休憩 記念撮影 −
          [第2部]発表会
             最優秀賞・優秀賞 計8名による作品朗読発表
                      (注:入賞者23名中4名欠席)


作文コンクール応募者

          第1中学校:82名
          第2中学校:40名
          玉縄中学校:23名
          岩瀬中学校:18名
          深沢中学校: 4名
          横浜国立大学教育人間科学部付属中学校:217名
          北鎌倉女子学院中学校: 1名
          鎌倉女子大学中学部: 7名
          鎌倉学園中学校:138名
          鎌倉女学院中学校: 40名


 鎌倉世界遺産登録推進に向けての
中学生作文コンクール入賞作品集

          発 行  平成20年2月20日
          発行者  鎌倉市青少年指導員連絡協議会
          コンクール主催  鎌倉市青少年指導員連絡協議会
          コンクール共催  鎌倉世界遺産登録推進協議会
          コンクール後援  鎌倉市
          コンクール後援  鎌倉ペンクラブ
          コンクール後援  鎌倉市教育委員会
          コンクール後援  鎌倉市立中学校校長会

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