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第3回『みんなで考える「どう守る私たちの世界遺産」』
(平成21年)報告10頁

どう攻める 世界遺産登録 コメンテーター 宮田 一雄

最終講評をする宮田コメンテーター
最終講評をする宮田コメンテーター
長い時間をかけて継承されてきた貴重な文化や自然を守る。そのことの重要性を否定するつもりはまったくないのだが、世界遺産登録推進協議会が主催する3回目のワークショップのテーマ「どう守る 私たちの世界遺産」には少々、当惑があった。あれれ?といった微妙な違和感というか。《武家の古都・鎌倉》の世界遺産登録推進を目指そうという時期に、守りに入ってしまったらダメでしょう。攻めなきゃ。そんな感想ですね。

鎌倉はつい2年前まで、2010年の世界遺産登録を目指していた。そのために、2008年には文化庁から世界遺産登録の推薦をしてもらい、2009年に現地調査を受け、といった工程表も組んでいた。今ごろは粛々とそのプロセスが進められている・・・はずだったのに、2008年5月になって、突如(という印象が強かった)、そのタイムスケジュールがご破算になってしまった経緯がある。

理由はともかく、その結果として、曲がりなりにも盛り上がっていた地元の気運といったものが、かなり大幅に冷え込んでしまったことは、鎌倉に住んでまだ3年にしかならないわたくしにすら、感じられた。今年 10月になって鎌倉市と神奈川県、横浜市、逗子市の4県市が文化庁に推薦要請を行い、登録推進プロセスも再始動した印象ではあるが、それでも現状は、《鎌倉を世界遺産に》という気運が再び盛り上がるのかどうか、やや心許ない。そんな印象がある。

以上のようなことを考えながら、ワークショップの開始時点で最初のコメントを求められたときには、《攻撃は最大の防御であり、防御は攻撃の入口でもあります。ワークショップの議論では、「どう守る世界遺産」と同時に、「どう攻める世界遺産登録」という積極的な攻めの視点も必要なのではないか・・・》といったことをお話しした。
 ただし、これは言わずもがなの指摘だったようで、6つのテーブルに分かれたディスカッションは、テーブルの隅っこに座って、その様子を少しずつ見たり、聞いたりしただけでも、積極果敢、かつ刺激に富むものであることが感じられた。各テーブルそれぞれのまとめ役の方の報告があるので、内容についてはそれを見ていただければ、一目瞭然だろう。

前2回のワークショップ同様、今回もまたコメンテーターとして、大いにその議論を楽しませていただき、刺激も受けた。そのことを踏まえ、世界遺産としての鎌倉をどうとらえたらいいのかについて、もう少し個人的な感想を付け加えたい。

個々の歴史的遺産としての社寺仏閣、遺跡といったものはもちろん、世界遺産(であるべき町)としての鎌倉を構成する重要な要素だが、鎌倉の魅力はそれだけではない。少なくともそれだけで鎌倉の魅力を語ることはできない。今回のワークショップでは、いくつかの世界遺産候補の対象別にグループが編成され、議論がスタートしたが、話は鎌倉の町が抱える課題の方に向かっていく印象を受けた。個々の遺産候補を包含し、なおかつ多数の人が生活したり、訪れたり、生産活動に従事したりしている現役の都市としての鎌倉の、いわば面的な魅力といったものこそが、実は世界遺産として認識されるべきなのではないか。

 福澤さんからは最初に計画などの際に使われるレイヤーという考え方についてお話があった。敷き重ねられる層のようなものだろうか。《武家の古都・鎌倉》の世界遺産候補は主に、鎌倉幕府の政権中枢と深く結びついた歴史的なスポットによって構成されている。 考えてみれば、中世の鎌倉は古都ではなく、武家政権の成立という歴史のドアを押し開いた新しい町であり、その新しさがあったからこそ、逆に古都は初めて古都として成立することが可能になる。新しく誕生した都市を土台にして、次の時代、そしてまた次の時代というように蓄積された時間が現在の鎌倉という町を構成している。そう考えることもできる。 鎌倉と外部世界とを結ぶ(あるときは隔てる)主要交通路だった7つの切通を歩けば、道路の両脇の壁に幾筋もの地層を見ることができる。レイヤーは都市の中の不可視の地層のようなものだろうか。地層の筋を微細に分析していくことは、研究者にとって重要な意味を持つのだろうが、そこまでの眼力も知識もない社会科見学の小学生でも、岩肌の筋の美しさに魅せられ、大人になってからも憶えているといったことは十分、ありうる。その地層のような堆積こそが鎌倉の魅力だとすれば、レイヤーの議論は、鎌倉の何が世界遺産としてふさわしいのかを考えるうえで興味深い。

 現在の候補遺産は、ユネスコの世界遺産委員会において、日本が推薦する世界遺産として通りやすいコンセプトを明確化するために選ばれているような印象を受ける。しかし、鎌倉の魅力は何だろうということを考えると、《武家の古都》からは抜け落ちるものの、捨てがたい魅力は、町の中のいたるところに、どっさりとある。それをいまから、あれも、これもと数えはじめれば、おそらくは収拾がつかなくなってしまうはずだ。したがって、世界遺産登録プロセスの戦略は現在のコンセプトで進め、その一方で、地元では世界遺産としての鎌倉の魅力は何かについての議論を同時並行的に進める。世界遺産登録を推進していくには、そうしたダブルトラック作戦が必要ではないか。ワークショップの議論を聞きながら、そんなことを考えた。コンセプトの明確化が求められる一方で、地元の盛り上がりも、鎌倉に対する今後の評価の大きな要素になるからだ。

 米国のバラク・オバマ大統領は11月14日、東京・赤坂のサントリーホールで、アジア外交演説を行い、少年時代に母親とともに鎌倉を訪れた思い出を語った。平和と静けさの象徴としての大仏について語り、子供だったので抹茶アイスの印象の方が強かったと笑いを取るあたりは、さすがスピーチの名手のオバマさんだと感心する。

 日米間の懸案がどっさりある中で、日本との親密な距離を強調するための小さなエピソードだったとはいえ、オバマ演説で真っ先に名前が上がったのが京都でも奈良でもなく、鎌倉だったことには注目しておきたい。考えてみれば、抹茶アイスも日本中世と欧米近代の食文化との融合の精華であり、その源流をたどると、鎌倉五山第三位の寿福寺にまでたどりつく。北条政子に招かれ、寿福寺の開山となった禅僧・栄西(えいさい)は、宋から帰国した際に茶の種を持ち帰り、日本におけるお茶の紹介者となった。栄西がお茶の効用を書いて源実朝に献上した『喫茶養生記』は寿福寺の寺宝として残されている(現在は鎌倉国宝館に寄託されているようだ)。日本のお茶の文化の出発点も鎌倉だったわけで、後にアメリカ合衆国大統領となる少年に深い感銘を与えた抹茶アイスもまた、鎌倉抜きには語れない。

 オバマ大統領が演説を行ったのは、ワークショップ「どう守る 私たちの世界遺産」が開かれた後だった。したがって、ワークショップでオバマ演説が取り上げられることはなかったが、ワークショップの各グループの魅力的な議論を聞いていなかったら、わたくしもまた、オバマ大統領が演説で証明した抹茶アイスの「顕著で普遍的な価値」に思いを馳せることはできなかっただろう。これからも魅力ある議論の機会を数多く作り、鎌倉の世界遺産登録を求める地元の動きが盛り上がっていくことを期待したい。
 

どう守る 私たちの世界遺産 コメンテーター 赤川 学

交流とおもてなしの心を説く赤川コメンテーター
交流とおもてなしの心を説く赤川コメンテーター
まずは、今日のようなワークショップが、今年で3年(3回)目を迎えたこと、そして鎌倉市民のみなさまの自発的な活動により継続されていることの意義と重要性を、再確認したいと思います。
平泉の世界遺産登録が足踏みし、多くの地域が世界遺産への名乗り出をギブアップしつつある今日の状況で、鎌倉市が世界遺産になる道は、容易とはいえないかもしれません。
しかし極論かもしれませんが、世界遺産になるかどうかは、あくまで「結果」にすぎません。それよりも、市民のみなさんが鎌倉という地に誇りをもち、それぞれの目線で歴史や伝統を語り起こしていくこと、その連綿たる営みこそ重要なのだと思います。
わたくしはこのところ、長野県で早い時期に重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)に指定された奈良井宿や、町並み修景事業で有名になった小布施町を取材させていただいています。
地元の人によると、これらの町並み保存や景観維持活動に関わった人は、十中八九、もともとは観光を目的としていませんでした。「重伝建や世界遺産になって観光客を呼び込もう」というより、「自分達にとって大切なものが結果として、外部からの注目を浴びる」というのが、成功したまちづくりに共通する特徴といえます。
その点からも、開発圧力に抗する景観維持の歴史と伝統をもつ鎌倉市民の、「自分たちにとって大切な歴史や文化を守りたい」という内発的な思いこそが原点であり、目的であるべきだと思います。
とはいえ鎌倉もまた、景観や遺産保存の成功例となればなるほど、住民と訪問者・観光客との関わりという、新たな課題に突き当たらざるをえないでしょう。
たしかに閑静な土地に、賑やかしの観光客が大挙して訪れることを敬遠したい気持ちは、わからなくはありません。しかしあえていえば、「観光客は未来の住人」です。そもそも鎌倉に何の魅力も感じなければ、誰も観光に来たいとは思わないでしょう。この土地を訪れる人は、他の町に住んでいようと、鎌倉のファンだと考えるべきなのです。
 そういう意味では鎌倉は、狭い意味での住民だけのものではありません。そもそも本日ここに集った人のなかで、三代前、十代前のご先祖さまがこの地に住んでいる人は、どれくらいいるでしょうか。ほとんどいないはずです。
みなさまの祖先もかつては「まれびと」であり、観光客であり、「よそ者」であったはずで、「よそ者」が、この地の人に寛容なおもてなしの精神で受け容れられることで、鎌倉は成り立ってきたと思います。だから、観光客という「未来の住人」に対するおもてなしの心も、忘れていただきたくないと思います。
また本日の議論で、お寺の住職、鎌倉検定の1級取得者、鎌倉の歴史に詳しい人に観光ガイド的な役割を務めてもらったらどうか、という意見がありました。もっともなご意見ですが、これをもっと推し進めて、この場に集まった人すべてが、鎌倉検定に挑戦し、鎌倉の歴史の語り手になるという意気込みをもつのもよいのではないでしょうか。 鎌倉の歴史は、単に教科書や観光ガイドに掲載されるようなものだけではありません。むしろ皆さんがこの場所で過ごした記憶の歴史であり、人と人との交流の歴史でもあるわけで、そうした記憶としての歴史、つまり鎌倉に対する皆さんの思いや地域の歴史を、それぞれの立場から語り、築き上げていくことこそ「私たちの世界遺産」を支える基盤になると思います。
 

裏長屋世界遺産談義 コメン亭ター 伊達美徳

世界遺産噺を聴かせる伊達コメン亭ター
世界遺産噺を聴かせる伊達コメン亭ター
ご隠居1
え〜、本日はワークショップにようこそのお運びで、ありがとうぞんじます。一席おうかがい申上げます。
熊五郎「やあご隠居、ご精が出ますね、今日も落ち葉掃きで焚き火ですか、長屋もきれいになった」
隠居老人「おや、熊さん、おかえりなさい。どこ行ってたんだい」
「ちょいと遺産問題でね、あれこれと話し合いがありましてね」
「えっ、おまえ、なにかい、親の遺産でも転がりこんだのかい」
「えへへ、いえなにね、世界遺産登録のことですよ、鎌倉のネ」
「なんだそうかい、そりゃまた結構な遺産問題だけど、それがいったいどうしたんだい」

文化に上下があるか
「市民が大勢集まったワークショップに行ってきたんですよ、鎌倉が世界遺産になったらどうしようかってね。でもね、そのまえに、そもそも世界遺産になんてなれるのかいって、そんな話にもなりましてね」
「鎌倉といわず日本の世界遺産登録は、なかなか難しいようだね、こっちがいくら勇ん(遺産)でもネ」
「エヘッ、なんでもね、ユネスコってところが胴元らしいんですが、そこがあれこれいちゃもんつけて世界遺産仲間に入れてくんないんですってね」
「ほう、世界遺産マフィアたちかい。いちゃもんてこともないだろうが、あっちの考える世界文化遺産と、こっちの市民が考える歴史都市鎌倉とは、どこかすれ違っているみたいだねえ」
「そうなんですよ、登録したいって言えばどんどん登録すりゃよさそうなものを、シブチンだなあ。この広い世界なら、5千や1万も文化遺産があって当たり前でしょ」
「う〜む、今の世界遺産登録のうちの文化遺産の数は700件ぐらいかな、なんだか少ないなあ。だって文化ってのはその地域ごとにそれぞれ固有のものがあるんだな、それをあっちは登録に値するけどこっちは値しないなんて、地域文化に上下の差別つけちゃあいけないよ」
「そうそう、そもそも市指定文化財より県指定が上で、それより上が国指定で、もっと上等なのが世界文化遺産だなんて、誰が考えたんでしょうね。こうなりゃもうひとつ上の宇宙文化遺産ってのをつくって、その第1号登録はガガーリンのスプートニク、2号は月にある人間の足跡ってどうです」
「おお熊さんよ、調子が出てるねえ、わたしも負けていられないよ、あのね、ユネスコが鎌倉を世界遺産にするのはいやだって言うのなら、地球遺産登録協議会なんてのをね、わたしたちで勝手につくるんだよ、そこで鎌倉を地球文化遺産第1号登録するってのはどうだい」
「おっ、ご隠居もやりますね、ボクシングのWBCとWBAか、野球のセリーグとパリーグだね、いいねえ。ならば、このご隠居のところの古ぼけたボロ長屋、こいつもその地球遺産になるね」
「ボロはよけいだよ」

“私たちの”世界遺産
「すいません。でね、今回のワークショップの題名が『どう守る、私たちの世界遺産』なんですから、これはもう『“私たちの決めた”世界遺産』として、なにもユネスコにいわれなくったって、鎌倉市民は鎌倉のことを世界的な遺産として誇りを持ってるんだって、そう考えればいいと思うんですよ」
「熊さん、いいこと言うねえ。そもそも文化なんてのを国際的に格付けしようとすると、政治的なこともあって難しくなるのは当たり前だねえ。もともとは西欧的な石の文化のように変らなくって目に見える文化遺産から始まってるんだから、日本の木の文化みたいに変化を当たり前とした遺産にはなじみにくいよなあ、」
「石は石頭っていうくらいに頑固に変らないもんだけど、木は腐っちゃいますからね」
「法隆寺を登録するとき結構もめたらしいよ。あそこはいっぱい材木を取り替えてるからね。でもまあ、なんとか日本風土の文化として認めるかってことになったんだね」
「じゃあ、石頭ユネスコもちょっとはやわらかになったんですかね」
手続きと手段
「今日の話でね、ユネスコに鎌倉を世界遺産になにがなんでも認めさせる作戦はどうすりゃいいんだいって話が、ひとつの柱としてあるんですよ」
「それは世界遺産手続き論だね」
「もうひとつの柱になる話は、鎌倉を世界遺産にするならね、まちづくりを歴史都市らしくちゃんとしなくちゃいけないよ、それにはどうすりゃいいんだよってことなんですよ」
「そりゃ世界遺産手段論だな、まちづくりの手段として世界遺産を活かそうってことだね」
「そう、その手続き論と手段論が、連動しているようで微妙にずれてるんですよ」
「そうだねえ、手続きならユネスコの言うように、できることをみんなやるしかないよな。だけど市民にとっちゃあ、そんな手続きは最短距離になるように役所にがんばらせといて、こっちは住み良いまちづくりのため、世界遺産にする過程や結果をうまく利用しようってえのは、こりゃなかなかすごい作戦だな」
「その手続きでね、鎌倉を世界遺産にするのは中世武家の都だからってんですがね、アチラのユネスコ連中にとっては多分、武家ってのはサムライ・チャンバラ・ハラキリだから、どこが文化なんだって言いそうで、ほんとに分かるのかしらってんですよ」
「そうだね、時代劇に出てくる侍じゃないんだけどねえ。西欧での中世の武士団と日本中世の武家の違いをどう説明するかねえ」

世界遺産の真正性とは
「それならば、鎌倉時代の建物を永福寺跡にも北条氏常盤亭跡にも昔の建物を復元したら、これは文化だってあちらサンにも目に見えて分かるかもしれないって意見もあるんですよ」
「う〜む、それはどうかねえ、世界遺産の基準に真正性ってのがあるよな、これって本物ってことだよ。地上に何も無いからって建物復元しても、それは本物じゃないよ、作り物だよ、いいのかい」
「えっ、だって奈良の平城宮の朱雀門だって木造で復元してますよ、あれっていけませんか、わかりやすいでしょ」
「あたしゃ行ったことなくて知らないけど、あれは観光施設だろ、だって奈良時代のほんとの朱雀門なんて誰も知らないんだよ。北条邸だって永福寺だって建物の遺物は無いしもちろん設計図は無いよ、なにがあるんだい」
「石ころ、穴ぼこ、溝掘り、盛り土なんかの跡が草の下の土の中にありますけど、」
「そうだろ、だからそこから先はその頃のほかの建物とか絵なんか見て想像たくましくつくるしかないんだよ。朱雀門もそうやった作り物だよ。いけなかないけど、ユネスコ流の本物ってことになるのかねえ。平城宮跡だって、ありゃ埋蔵文化財としての世界遺産登録だよ」

ご隠居1 積み重なる歴史都市
「それからね、歴史都市鎌倉って言うけど、ここは砂漠の遺跡じゃなくてず〜っと人が暮らしてるんだから、昨日だって歴史だし千年前だって歴史なんですよ。鎌倉時代だけ採り上げるってのもおかしいよって言う人もいるんですね」
「もっともだねえ、歴史は積み重なっているものだからねえ。それが福澤さんの言うところのレイヤーだよ。こりゃ前途多難な世界遺産登録だよ」
「もういつになるか分からないけど、こうなりゃこのままズ〜ッと百年も登録運動しつづけるってのも、鎌倉まちづくりの前向きの動機になって、なかなかいいかもしれないって、あたしゃ思うんですよ」
「その間にユネスコさんから、登録したけりゃああせいこうせいと、いろいろと言ってくるんだろうね」
「やれやれ、ありがたいような、お節介さん(世界遺産)のような」

―お開きでございます、お足元に気をつけてお帰りくださいまし、またのお越しをお待ちいたします−

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